福島第1原発事故に懲りる様子もなく、相も変わらず原発再稼動や原発輸出に固執する利権集団の愚。
国民の間でも廃炉か停止か再稼動かと意見が割れています。
原発事業に関わる人、原発マネーの恩恵を受ける人、電力供給を受ける人、そして原発事故で被害を受けた人など、色々な立場から色々な意見が出るのは当然でしょう。
ただし、原発を論ずる上で、忘れてはいけない事がいくつかあります。
原発を運転し続ける限り、高レベル放射線を帯びた核廃棄物という「ごみ」が出る事。
その「ごみ」は現在「どこにも捨て場がない」という事。
これは今すぐ原発を止めようと続けようと、必ず発生する絶対に避けては通れない問題だという事。
「10万年先まで絶対安全に格納(『放射性廃棄物の憂鬱』より)」されなければならない、いわば負の遺産を私たち人間は既にこの世に生み出してしまっていたという事を。(冷温停止も本当に「停止」している訳ではなく、冷却装置が止まればすぐにでも核燃料が空焚きになる)
日本から英仏に運ばれた使用済み核燃料は、再処理されてプルトニウムが取り出される。その際、高レベル廃棄物も出る。
青森県六ケ所村での中間貯蔵を経て「地下深くに埋められる予定」だが、その場所が決まっていない。
厄介な「ごみ」なのである。
(2012/3/5朝日新聞「プロメテウスの罠-英国での検問」より)
さらに、この「核のごみ」には放射能以上に厄介な側面も見え隠れしています。
核廃棄物運搬事業の名を借りた巨額の原子力マネーが、ここでも動いているらしいのです。
東京に「シーバード」という会社があった。
1991年設立の船会社で、登記簿によると最後の住所は帝国ホテル、資本金はわずか40万円。
92年暮れから93年一月にかけて、フランスから日本にプルトニウムを運んだ日本船籍の核燃料輸送船「あかつき丸」の船主だ。
93年、社会党参院議員の翫 正敏が「これは(中略)実体のない会社」と当時の科学技術長官の江田五月に質問している。
シーバード社は2010年6月に解散し、あかつき丸の後は日本にプルトニウムを運んでいない。
つまり、シーバード社は「プルトニウムを運ぶ為」だけのペーパーカンパニーだったのだ。
(2012/2/24朝日新聞「プロメテウスの罠-英国での検問」より)
因みに、本当の船主は「パシフィック・ニュークリア・トランスポート」というイギリスの会社。
シーバード社はパシフィック社の100%子会社として登録されており、「あかつき丸」も本名は「パシフィック・クレーン号」。
このパシフィック社も登録されたセラフィールド近郊の住所にオフィスは存在せず、実際はINS(インターナショナル・ニュークリア・サービス)という近隣の原子力関連企業が運営しているそうです。
パシフィック社は62.54%が英国の会社、12.54%を仏国の会社、残りを東京電力、関西電力、丸紅、住友商事が計25%を出資。
日英仏の電力・原子力関連企業が計2.6億円を注ぎ込み、配当率は50%が基本。2年で元が取れてしまう破格の高配当率であり、古い船の売却益で120%の配当をした事もあったといいます。
(2012/2/26朝日新聞「プロメテウスの罠-英国での検問」より)
このような利権を維持する為に、一部の推進派が今も原発再稼動にこだわり続けているのだとしたら…
原発や見通しの立たない核燃料サイクルに安易に賛成する事は、自らの安全や健康ひいては人生をも差出し、彼ら利権集団に法外な利益を与え続ける事にも繋がってしまう危険性もあるのではないでしょうか。
確かに、会社組織は利益追求団体です。
ボランティアではありません。求められるのは、志や努力よりも成果でしょう。
しかし、公共組織は公益追求団体ではなかったのでしょうか?
そして「公益」とは「広く世人を益すること(広辞苑)」。つまり「一人でも多くの人の役に立つ」仕事をする事が、本来の公共組織の役目である筈です。
電気・水道・ガス等のインフラは、個人や特定の組織のものではなく、公共のものです。
公共のものを管理運営する組織、公的資金という名の税金を一円でも受けた組織は、公から得た利益を公に還元する義務がある筈ですし、それが道理だろうと思います。
真面目に役立つ仕事をしている人の働きを食い物にして、一部の特権階級だけが私腹を肥やす「利権の闇」は恐らくありとあらゆる場所に存在するでしょう。
本当は、全ての業界・組織で働く全ての方々に言いたいのですが…
東京電力を始め、今批判にさらされている電力業界の方々。
これまで日本の経済成長を陰日向で支え、戦災や天災以外の停電がない世界でも稀な安定供給をしてきた事。
あれだけの大事故が起きたあとでも、たった15日でまた電力を絶やす事無く送り続けられている事。
そうして国民の生活という名の「公共」を支える仕事をしている事に、どうか誇りを持って下さい。
その誇りという名の光を以て、自らが身を置く業界の闇を恐れずに見つめて下さい。
今度は、私たちも一緒に見ています。