これはストーカーの論理に他なりません。
石原都知事と東京都教育委員会による君が代斉唱時の不起立に対する処分が、定年後の再雇用拒否という形で現実化したのも記憶に新しい中。
全国で初めて君が代起立斉唱条例が、大阪府議会で成立してしまいました。(毎日新聞2011/6/3)
橋下徹知事が率いる首長政党「大阪維新の会」府議団が提出。
公明、自民、民主、共産は反対したが、過半数を占める維新や、みんなの党などによる賛成多数で可決したそうです。
戦後、事ある毎に議論が分かれてきた日の丸・君が代問題。
そもそも、それほどまでに日本人を心穏やかにしておかない『日の丸』『君が代』とは何なのか?
ちょっと簡単に見直してみたいと思います。
『日の丸』とは?
事実上、日本の国旗とされてきた旗。日章旗とも言う。太陽を象っている。
1870(明治3)年の太政官布告57号で日本の商船が国旗として掲げる事とし、旗の規格を制定した。
それまでは幕府船の標識として使われており、幕末には諸外国の船の中で日本船の印となっていた。
その際、最初に採用したのは薩摩藩だとも言われている。
また、昇る朝日を象った旭日旗は軍旗として使われ、軍艦などに掲げられた。
法律上、これを国旗とする明文はなかったが、1999年8月に国旗・国歌法が公布・施行され、正式に国旗と定められた。
『君が代』とは?
1.
枕詞。
「君が代に」なら「あふ」、「君が代の」なら「なが(長)」、「君が代は」なら「たか(高)」「つもり(津守)(積もり)」にかかる。
2.
事実上、日本の国歌とされてきた楽曲。1893(明治26)年に小学校における祝祭日の儀式用唱歌として公布。
詞は、江戸時代初期に流行した小唄「隆達節」の巻頭第一にあるものと同一。
さらに遡れば、紀貫之らによる選歌集『古今和歌集』(905~914年頃成立)や『古今和歌六帖』(10世紀後半成立)の他、
『和漢朗詠集』(11世紀初め成立)などにも似た歌が見られ、古くから詠まれてきた和歌がもとになっている。
曲は、薩摩藩に頼まれたイギリス人のJ・W・フェントンが日本人通訳が歌っていた『武士(もののふ)の歌』を参考に作曲。
しかし、西欧色(特にアイルランド色)が強すぎると政府関係者に不人気だった。
西南戦争の間にフェントンが帰国すると、明治13(1880)年に宮内省式部職雅樂課の伶人奥好義がつけた旋律を一等伶人の林廣守が曲に起こした。
それを前年に来日したドイツ人音楽家であり海軍軍楽教師フランツ・エッケルトが西洋風和声を付けたものが現在も演奏されている。
『君』とは?
1.人の上(かみ)に立って支配するもの
2.人を敬って呼びかける二人称
3.古代の姓(かばね)。「君」姓の者は多く「朝臣(あそん)」と賜姓。
4.遊女の異称。遊君。
5.同輩以下の相手を差す二人称
まとめてみると…
・幕末明治以降に薩摩藩あたりから浸透したらしい、ここ百余年の新しい象徴
・開国するにあたり西洋諸国に倣って国の旗、国の歌に決められたもの
・何かと曖昧な日本らしく、起源も制定も曖昧で、正式に法文化されたのは極最近
国旗、国歌とは『国』全体のもの。
『国』とは『郷里』、つまり民が生まれ育った場所。或いは骨を埋めると見定めた場所。(故郷に戻る事を「郷里(くに)に帰る」と言いますよね)
それを時の政府が自らの権威付けの為に利用し、手垢を付ける度に、国歌や国旗のイメージがどんどん低下していくように見えます。
脅迫的・暴力的な喧伝行為で、「愛好するもの」の価値までをも貶めるような人間に、愛好者の資格はないと思います。
「日の丸を愛することが国を愛することという思考は短絡的」
君が代斉唱時の起立命令を合憲とした最高裁の初判断を受け、敗訴が確定した原告の元教諭の申谷(さるや)雄二さん(64)の言われた事は尤もです。
いじめやら権力闘争やら隣人への嫉妬やらをやめられないような人間に「意識の高揚」など植えつければ、「国と郷土を愛する」という大義名分を悪用するだけに思えてなりません。
寧ろ、こうした人間こそが国の価値を貶める所謂「非国民」(←暴力的で好きではない言葉ですが…)というものではないでしょうか。
そして、本来の主役であるはずの児童生徒の意見も聞かずに、役人や教員だけで教育論を展開していく相も変らぬ思考の短絡さに、この国の将来が心配で仕方ありません。
受験戦争の時といい、ゆとり教育の時といい…
一番の被害者は、そんなカリキュラムを受けざるを得ない子供達です。
ハーバード大学の「全人格教育」の成れの果てがリーマン・ショックであるなら、日の丸・君が代起立条例は、暴力(脅迫)は自由を殺し、権力は真実を捻じ曲げ、財力は信念を飼い殺せるのだと生徒に見せ付ける事になるでしょう。
そんな教育を受けた生徒が、どんな大人に育つでしょうか?
そんな大人が、どんな社会を日本に作っていくのでしょうか?
嫌な予感しかしません。
力で従わせた者は、力がなくなれば背くだけです。
ねじ伏せるだけ余計な怨みが増えるだけです。
何も行事を妨害しようという訳ではない筈です。
実害がなければ、放っておいても問題ないと思います。
日本人は、喧伝するより黙って働く方が得意だったではありませんか。
愛される日本で在り続けられるように、大人も子供も無言実行あるのみです。
日本が未曾有の大震災を被った時、世界は助けてくれたではありませんか。(無論、打算が無いとは言いません。援助は外交の一環ですから)
良い事をしていれば、どこかで誰かが見ていてくれるものと信じさせてくれる出来事と言えるでしょう。
愛されたければ、愛されるような生き方を「まずは自分が」すれば良いのです。
他人にお節介を焼く前に、まずは汝自身を知りましょう。
最後に…誤解されぬよう、あえてここで公言しておきます。
私は、シンプルな『日の丸』も「引き算の文化」の日本らしい旗だと思います。
厳粛な『君が代』も古風で日本らしい歌だと思います。
世界を知り、歴史を知れば知るほど、日本人に生まれて良かったと思いますし、日本に住んでいて本当に幸せだと思っています。
ですが、私はあくまで個人的に好いているのです。
他の誰かにまで「好きになれ」と無理強いする気にはなれません。
本当に良いものは、自然と評価されるものなのですから、鷹揚に構えていれば良いと思うからです。
『国』とは『郷里』、つまり民が生まれ育った場所。或いは骨を埋めると見定めた場所。(故郷に戻る事を「郷里(くに)に帰る」と言いますよね)
それを時の政府が自らの権威付けの為に利用し、手垢を付ける度に、国歌や国旗のイメージがどんどん低下していくように見えます。
脅迫的・暴力的な喧伝行為で、「愛好するもの」の価値までをも貶めるような人間に、愛好者の資格はないと思います。
「日の丸を愛することが国を愛することという思考は短絡的」
君が代斉唱時の起立命令を合憲とした最高裁の初判断を受け、敗訴が確定した原告の元教諭の申谷(さるや)雄二さん(64)の言われた事は尤もです。
いじめやら権力闘争やら隣人への嫉妬やらをやめられないような人間に「意識の高揚」など植えつければ、「国と郷土を愛する」という大義名分を悪用するだけに思えてなりません。
寧ろ、こうした人間こそが国の価値を貶める所謂「非国民」(←暴力的で好きではない言葉ですが…)というものではないでしょうか。
そして、本来の主役であるはずの児童生徒の意見も聞かずに、役人や教員だけで教育論を展開していく相も変らぬ思考の短絡さに、この国の将来が心配で仕方ありません。
受験戦争の時といい、ゆとり教育の時といい…
一番の被害者は、そんなカリキュラムを受けざるを得ない子供達です。
ハーバード大学の「全人格教育」の成れの果てがリーマン・ショックであるなら、日の丸・君が代起立条例は、暴力(脅迫)は自由を殺し、権力は真実を捻じ曲げ、財力は信念を飼い殺せるのだと生徒に見せ付ける事になるでしょう。
そんな教育を受けた生徒が、どんな大人に育つでしょうか?
そんな大人が、どんな社会を日本に作っていくのでしょうか?
嫌な予感しかしません。
力で従わせた者は、力がなくなれば背くだけです。
ねじ伏せるだけ余計な怨みが増えるだけです。
何も行事を妨害しようという訳ではない筈です。
実害がなければ、放っておいても問題ないと思います。
日本人は、喧伝するより黙って働く方が得意だったではありませんか。
愛される日本で在り続けられるように、大人も子供も無言実行あるのみです。
日本が未曾有の大震災を被った時、世界は助けてくれたではありませんか。(無論、打算が無いとは言いません。援助は外交の一環ですから)
良い事をしていれば、どこかで誰かが見ていてくれるものと信じさせてくれる出来事と言えるでしょう。
愛されたければ、愛されるような生き方を「まずは自分が」すれば良いのです。
他人にお節介を焼く前に、まずは汝自身を知りましょう。
最後に…誤解されぬよう、あえてここで公言しておきます。
私は、シンプルな『日の丸』も「引き算の文化」の日本らしい旗だと思います。
厳粛な『君が代』も古風で日本らしい歌だと思います。
世界を知り、歴史を知れば知るほど、日本人に生まれて良かったと思いますし、日本に住んでいて本当に幸せだと思っています。
ですが、私はあくまで個人的に好いているのです。
他の誰かにまで「好きになれ」と無理強いする気にはなれません。
本当に良いものは、自然と評価されるものなのですから、鷹揚に構えていれば良いと思うからです。