困難を乗り越えて発行そされた歴史的な紙面として、ニュージアム側が紙面の寄贈を石巻日日新聞側に求めて同紙が応じました。
石巻日日新聞は震災直後、臨時で手書きの号外を壁新聞として張り出す形で六日間にわたって発行。
通常の編集も製作も印刷も出来なくなった中、記者は懐中電灯の明かりを頼りに油性ペンで記事を書き、避難所の壁に張り出していたそうです。
ニュージアムはウェブサイトで
「この新聞は、人間の知ることへのニーズと、それに応えるジャーナリストの責務の力強い証しである」と紹介。
クリストファーソン学芸員は
「大変な苦難に直線するなか、日日新聞のジャーナリストは地域社会に重要な情報を提供するという責任を果たし、そのためにペンと紙を用いた」と称賛。
電気が切れても、輪転機が止まっても、パソコンが無くても、新聞は作れる。ニュースは必要とされる。
まさに、ジャーナリズムの原点を示して見せたような出来事だと思いました。
計画停電で「暗くてよく見えない…」なんて一瞬でも思った自分に本当反省。(^^;
人類は言語を得て文字を作り、グーテンベルクが活版印刷を発明し、電信は電話に無線機はラジオやテレビに発展し、今やインターネットの時代です。
人間は言語で考え、言語で話し、言語で記録を残してきました。
「伝える」という事を続けてきた先には、「伝えたい」という思いと「知りたい」という思いが、ただの「情報」を情報以上の価値に出来る「可能性」が示されたのではないでしょうか。
そして、こちらは現代っ子たちの「ジャーナリズム」。
震災で自宅に住めなくなり、親族宅に身を寄せる仙台市内の高校生が、友達と避難所を回って必要な物資の聞き取りをしていました。
物資を効率良く行き渡らせる事が出来るよう、得た情報をネット上の地図に載せて誰にでも見られるように。
彼らが行動を開始したのは、地震から二週間後。
知人を通じて、各地で必要とされている支援物資をネット地図に掲載していた東京のインターネット関連会社に、宮城の避難所で聞き取りした情報を提供する事を連絡。
「避難所の声を届けたい」と、東北学院高校三年生の末永太郎君(17)は同級生八人と二、三人ごとのグループに別れて自転車で避難所を訪問。
必要なものや避難所の現状を役所の担当者や避難所代表者から丁寧に聞き取り、メモした情報をサイトに書き込む作業を続けています。
サイトを運営する田原大生さんは「リアルタイムに現地の生の声を発信してくれるのは大きい」と話す。(朝日新聞2011/4/6)
「自分は衣食住が足りていて動くことも出来る。何か出来る事はないか?」
「避難生活をしている人は、自分で声を発信しづらい人が多いと思う。そういった人の声を多くの人に届けたい」
行政顔負けの見上げた心意気に、心底感心してしまいました。
自動車道路が復旧しない中、瓦礫の中を自転車で走り回って動けないお年寄り宅などへ支援物資を届けていた高校生もいましたね。
東北学院は4月27日から新学期が始まりましたが、復旧した電車で仙台市外にも活動を広げ、土日を使って活動を続けていきたいとの事。
ちなみに、サイトはこちら(↓)
