国民に原発問題…否、原発危機を忘れさせる為の報道管制かと思わず勘繰ってしまいそうです。
炉は冷やし続けなければならず、構造物の亀裂から漏れ出ているであろう大量の汚染水処理、そして行き場のない核廃棄物の処理。
危険は去った訳ではなく、問題は何一つ解決していません。
原発をなくすにしても、東芝が出した工程表によれば、廃炉まで最短でも十年間。
何より一番大きく影を落とすのは、放射性廃棄物処理の問題です。
使用済み燃料を何度リサイクルした所で、放射性物質は無くなる訳ではなく、寧ろ放射線量はより濃縮されて扱いにくくなる一方。
さらに炉をプルサーマル方式にしなければならず、通常の軽水炉よりも事故の確率が格段に上がってしまいます。
その最終処理場を世界で唯一(つまり他国は持っていない)持つフィンランドのドキュメンタリー映画が、渋谷の映画館で公開され静かなブームを呼びました。
さらに原子力や放射能をテーマにした他の映画も次々と上映され、「原子力をきちんと知りたい」という多くの人々の声に応えています。
震災後、「自粛」の名の下に営業妨害まがいの行為もまかり通る中、配給会社の英断に拍手を送りたいです。
その映画『100、000年後の安全』が、今では全国公開されています。
【危険は10万年後まで…放射性廃棄物扱う映画 全国公開へ】
放射性廃棄物問題を正面から描いたドキュメンタリー映画「100、000年後の安全」(マイケル・マドセン監督)が話題を呼んでいる。
2日に単館で公開したところ大反響で、16日から拡大公開が始まり、6月までに全国の40館で上映が予定。
福島第一原発の事故により、原子力問題への関心の高まりが示された格好だ。
この作品は、フィンランドが建設している世界初の放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ」が題材。
危険性が10万年続くとされる高レベル放射性廃棄物を、地中深くの堅い岩盤内に埋め込んでしまう計画だ。
しかし、10万年といえば、石器時代から現代までに相当する長大な時間。人類にこの場所が危険だと警告し続けることは可能なのか。
文明が変われば、文字も通じないのではないか。もし、財宝と誤解して、未来の人類が放射性廃棄物を発掘してしまったら…。
マドセン監督は関係者に質問を繰り返し、彼らが苦悩する様子を記録している。
今秋公開予定だったが、配給する「アップリンク」が2日から自社の劇場で急遽公開したところ、連日満席となった。
観客へのアンケートでは
「原発の賛否を超えて向き合う問題だというメッセージが、広く伝わってほしい」(30代・男性会社員)など、前向きな意見が寄せられたという。
同社は「今後も上映館は増えそう。日本にとって重要な問題であり、議論を深めるきっかけとなれば」と話している。(産経新聞2011/4/24)
原発を運転させる限り、大量に出続ける放射性廃棄物をどうするつもりなのでしょう。
埋め方に手抜きがあってはいけない事は勿論、安全を確保する為には、人が住まず、地下水を汚染しない上、地上に放射線が届かない深さが必要など、埋められる場所は限られています。
原発を使い続けて、いつか地球が「放射性廃棄物の墓場」だらけになってしまうかもしれない未来は悪夢にしか見えません。
仮に、透明性と柔軟性のある組織が、真面目に適切に原発を運転出来るようになったとしても(限りなく可能性は低そうですが…orz)、私が原発に賛成出来ない理由の一つがこの放射性廃棄物の管理問題の存在です。
負った傷は、目を逸らしても痛みが消える事はない。傷跡と正面から向き合う事でしか癒せない。
原発のコスト計算からも「除外」されてきた廃棄物処理にかかる莫大な費用と膨大な時間を、私たちは直視する時が来たのかもしれません。