東京ではいわきナンバーの車を差別する空気があるそうだ。野菜や魚だけでなく、人間まで汚れたモノのように扱うのはやめてほしい。
特に、何の罪もない子どもたちには、普通の暮らしをさせてやりたい。俺が言いたいのは、福島を、福島県人をこれ以上バカにするなってことなんだ」
福島第一原発のある双葉町からいわき市に避難している男性(65歳)は、怒りを抑えて静かに言った。(現代ビジネス2011/4/21)
事故を起こした福島第一原子力発電所は「東京電力」の管轄でした。
「東京」電力。「東北」電力ではなく、「東京」電力。
福島は東京の電力を賄うために、原発の立地になってくれていたのであり、震災の日まで動かし続けてくれていたのです。
つまり、福島は東京の身代わりに原発事故の災禍を被ったようなものだと思います。
そんな首都圏の人間の福島県人に対する態度は、「差別」ともいえる不当なものです。
震災によるストレスの捌け口か、被曝を過度に恐怖した自己保身かはわかりませんが、非道いお門違いではないでしょうか。
福島ナンバーの車を「どけてくれ」と役所に苦情を訴えたり、東北の瓦礫処理を「放射能」を理由に断る自治体があったり、福島から転校してきた子供たちが「放射能怖い」と避けられたりする事態までが明るみに出ました。
食品の検査や出入りした人間のスクリーニングは、周囲のみならず本人の安全の為でもあります。
「必要ならば」行い、基準値を超えた場合は出荷・摂取制限なり除染・入院治療など、然るべき措置をとれば良いと思います。
ですが、科学的根拠を欠いた曖昧な「恐怖心」で検査を強要したり、それを理由に相手を汚れ物のように扱うなどという行為は「良心的な」人間の行いとはとても言えません。
他の人も「線量検査=被曝している」という安易なものの見方をやめるべきでしょう。
大の大人の思考は、それほど単純ではない筈です。
今、海外では日本製品が被曝への疑惑を持たれて、インドのように一度は禁輸措置を打ち出す国もある程です。(保健省のフランイグと発覚し後に撤回)
それと同じ目を同じ日本人に対して向けて良いのでしょうか。
私たちはそんな浅ましい人間だったのでしょうか。
震災当初、世界が賞賛してくれた「助け合う日本人」は幻だったのでしょうか。
放射能に着の身着のままで故郷を追われた避難民は、労わられるべき人々です。
放射能と劣悪環境に耐えながら原発で働く作業員は、報われるべき人々です。
ハンバーグを食べながら屠殺を批判するような真似は、彼らの人間性を踏みにじる行為に他なりません。
原発の交付金で広野町に建てられた広大なスポーツ施設Jヴィレッジは、
この一ヶ月間、原発事故を収束させる作業員や自衛隊員の前線基地になってきました。(産経新聞2011/4/22)
講堂に入りきらない人数の中、廊下で食事や仮眠をとり、時間がくればバスで原発まで送り出されていく作業員たち。
玄関先には防護服やヘルメット、手袋などが入った段ボール箱が積まれ、一階ロビーは人でごった返す狭さ。
一時、問題となった食事も「一時より、食事はだいぶ良くなりましたよ」と山積みになったレトルト食品の前で作業員は話したそうですが…。
東京電力が、作業員の休憩所を新設して使用を開始させたのは、ようやく4月21日になってからの事でした。(産経新聞2011/04/21)
「事故収束まで少なくとも数ヶ月と長期戦になる見通しで、作業員の体調管理に必要と判断した」といいますが、本来なら真っ先に考えるべき事ではなかったでしょうか。
今こうしている間にも、いつ事態が暗転するかわからない原発で、文字通り命懸けで最悪の事態を止めてくれている人がいる。
出来る事なら、彼らには栄養たっぷりの食事、安眠できる寝所、手足を伸ばせる空間、そして万全の放射能対策と最高の医療を受けさせてあげたい。
それくらいの事はしないと、とても働き続けられる状況ではないと思います。
実際、4月23日時点で被曝量100ミリシーベルト超の作業員は30人にも達し、最大の198ミリシーベルトを浴びた作業員一人が既に原発を離れたそうです。(産経新聞2011/4/23)
事故の長期化に伴い、熟練作業員の累積被曝線量が増大しており、人材の確保が大きな課題となっています。
東電、保安院、原子力安全委員会、経産省などの責任者たちは、そして私たち一般人はこうした人たちの犠牲の上に生きている事を重く受け止めなければ
ならないと思います。
原発立地町である双葉町の避難住民は、こう本音を語った。
「地震が起こるまで、東電の社員は俺たち下請けにとって神様だったよ。へへぇーって感じで。でもこうなったらもう、双葉町には戻りたくないな。仕事もないだろうし。原発に残ってる仲間を思うと辛くもあるけど、女房子どもを泣かせてまでする仕事だったかな、相手だったかな、って思うとさ。100%安全な仕事はないけど、原発事故はレベルが違うでしょ」
~中略~
「国と東電は、避難範囲をこれ以上広げたくない。ましてや『距離よりも風』という説も絶対に採用したくない。
なぜなら、避難範囲を10km広げることで、補償金額は莫大に跳ね上がるからです」(東電関係者)
命より金。そもそもそれが原発の建設理念だった。
そして、国のエネルギー政策を追認してきたメディアや国民も、その責任と無縁ではない。
福島の供給する電力で暮らしている東京都民はなおさらだろう。
原発に殺されようとしている福島を、他人事のように眺めることは、誰にもできないはずだ。(現代ビジネス2011/4/21)
原発を必死に止めようと、被曝しながらも現場に留まり働き続ける作業員。
貧しさから抜け出そうと、交付金と引き換えに都市の代わりに原発を受け入れた地方。
そんな「生贄」を求める社会に明日はない…否。あったとしても、それはとてつもなく暗い明日でしょう。
非常事態という重圧の中で、「非国民」という「生贄」を見繕い、己の生命と精神を保とうとした六十余年前の悪夢のように。
放射能と劣悪環境に耐えながら原発で働く作業員は、報われるべき人々です。
ハンバーグを食べながら屠殺を批判するような真似は、彼らの人間性を踏みにじる行為に他なりません。
原発の交付金で広野町に建てられた広大なスポーツ施設Jヴィレッジは、
この一ヶ月間、原発事故を収束させる作業員や自衛隊員の前線基地になってきました。(産経新聞2011/4/22)
講堂に入りきらない人数の中、廊下で食事や仮眠をとり、時間がくればバスで原発まで送り出されていく作業員たち。
玄関先には防護服やヘルメット、手袋などが入った段ボール箱が積まれ、一階ロビーは人でごった返す狭さ。
一時、問題となった食事も「一時より、食事はだいぶ良くなりましたよ」と山積みになったレトルト食品の前で作業員は話したそうですが…。
東京電力が、作業員の休憩所を新設して使用を開始させたのは、ようやく4月21日になってからの事でした。(産経新聞2011/04/21)
「事故収束まで少なくとも数ヶ月と長期戦になる見通しで、作業員の体調管理に必要と判断した」といいますが、本来なら真っ先に考えるべき事ではなかったでしょうか。
今こうしている間にも、いつ事態が暗転するかわからない原発で、文字通り命懸けで最悪の事態を止めてくれている人がいる。
出来る事なら、彼らには栄養たっぷりの食事、安眠できる寝所、手足を伸ばせる空間、そして万全の放射能対策と最高の医療を受けさせてあげたい。
それくらいの事はしないと、とても働き続けられる状況ではないと思います。
実際、4月23日時点で被曝量100ミリシーベルト超の作業員は30人にも達し、最大の198ミリシーベルトを浴びた作業員一人が既に原発を離れたそうです。(産経新聞2011/4/23)
事故の長期化に伴い、熟練作業員の累積被曝線量が増大しており、人材の確保が大きな課題となっています。
東電、保安院、原子力安全委員会、経産省などの責任者たちは、そして私たち一般人はこうした人たちの犠牲の上に生きている事を重く受け止めなければ
ならないと思います。
原発立地町である双葉町の避難住民は、こう本音を語った。
「地震が起こるまで、東電の社員は俺たち下請けにとって神様だったよ。へへぇーって感じで。でもこうなったらもう、双葉町には戻りたくないな。仕事もないだろうし。原発に残ってる仲間を思うと辛くもあるけど、女房子どもを泣かせてまでする仕事だったかな、相手だったかな、って思うとさ。100%安全な仕事はないけど、原発事故はレベルが違うでしょ」
~中略~
「国と東電は、避難範囲をこれ以上広げたくない。ましてや『距離よりも風』という説も絶対に採用したくない。
なぜなら、避難範囲を10km広げることで、補償金額は莫大に跳ね上がるからです」(東電関係者)
命より金。そもそもそれが原発の建設理念だった。
そして、国のエネルギー政策を追認してきたメディアや国民も、その責任と無縁ではない。
福島の供給する電力で暮らしている東京都民はなおさらだろう。
原発に殺されようとしている福島を、他人事のように眺めることは、誰にもできないはずだ。(現代ビジネス2011/4/21)
原発を必死に止めようと、被曝しながらも現場に留まり働き続ける作業員。
貧しさから抜け出そうと、交付金と引き換えに都市の代わりに原発を受け入れた地方。
そんな「生贄」を求める社会に明日はない…否。あったとしても、それはとてつもなく暗い明日でしょう。
非常事態という重圧の中で、「非国民」という「生贄」を見繕い、己の生命と精神を保とうとした六十余年前の悪夢のように。