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遺すべきもの、残さざるべきもの

震災のどさくさで、海外のみならず国内の問題さえ忘れられそうな危機にあります。
同じく大きな地震にあった長野県栄村や静岡県富士見市の被害実態。
過去の親方衆の罪状を遡らず、部屋制度など角界の組織改革もなく、一部力士の追放処分に終わりそうな大相撲八百長問題。
未だ道半ばといえる捜査の全面可視化、検察の証拠偽造問題と組織改革。
都の怠慢で見逃した土壌汚染された豊洲(震災で九十ヶ所液状化)への築地市場移転問題。等々…

今の子供たちに将来残す日本は、こんな国のままでいいのでしょうか?
「弱肉強食」の名の下に、搾取構造という暴力に支配され続ける社会でいいのでしょうか?
「努力する者が報われる」といっても、他人を押し退け、組織に取り入り、権威を振りかざして利権を守る努力しか報われない。

そんな「メンタルビンボー(心が貧しい)」な世界で、本当に楽しいのでしょうか?
互いに支えあい、思いやるゆとりのある心豊かな世界の方が、気楽で楽しいと思いませんか?

通院先の病院で出会った五歳の少女は、とても活発で利発な子だった。
素直に抱く素朴な疑問、それを「どうして?」と聞いてくる真っ直ぐな眼、返ってきた答えを一語も聞き逃すまいと聞き入る真剣さ…。
一年前に近所に引っ越してきた若夫婦には、生後間もない男の子がいた。今、その子は一歳。
小さな体で力一杯動き回る姿、時折聞こえてくる元気な声は泣き声だったり笑い声だったり覚えたばかりの言葉だったり…。
「子供は宝」とはよく言ったもので、一瞬一瞬を未熟ながらも全力で生きている子供たちを見ると「あの子たちを守りたい」という思いが自然に湧き上がってくるから不思議なものです。
放射能からも天災からも、そして人の悪意からも。

報道が繋いだ贈り物。遠くの善意が近くの悪意から一人の子供を救った。
ランドセルを買う為に祖父母から贈られた入学祝いを盗まれ、困っていた仙台市の親子のもとに思わぬ贈り物が届いた。
徳島県に住む老夫婦からのランドセルだった。
「やったーやったー!これで一年生になれる!」
三百人余りが避難する仙台市宮城野区市立岡田小学校で、新品のランドセルを開けた米山兼生君が飛び跳ねて喜んだ。
ランドセルを背負って体育館を走り回る兼生君に「格好いいね」「よかったね」と避難所の人たちが声をかける。
兼生君の自宅は津波で一階が浸水。
二日後、母親の美枝さんが自宅に戻ると二階が物色され、タンスに保管していた入学祝いが無くなっていた。
二十六日朝日新聞朝刊の被災者の声でこの事を知った徳島在住の夫婦が、避難所に電話をかけてきた。
「同じくらいの孫がいるんです。力になりたい」
遠慮する美枝さんに「今一番辛いだろうけど、これからは良い事だけだから」と言って電話は切れた。
二十八日、避難所に届いたのは濃い緑色のランドセル。満開の桜の絵葉書も添えられ「皆、仲間です」と結ばれていた。
美枝さんは「生きる為の励みになりました。災害を通じて、兼生も人の心の温かさを学んでくれたはずです」
兼生君は「遠くのおじいちゃんとおばあちゃんに『ありがとう』って電話するんだ」と話した。(朝日新聞2011/3/29より)

何より一番救われたのは、人間の善も悪も同時に学んだであろう少年の心だったのかもしれません。
彼、そして彼のような子供たちの成長に、勝手ながら期待してしまいます。親類縁者や友人を亡くした子も多く、乗り越えるものは多けれども。

「津波なんて、ここまで来る訳がない」――
そう言うわれながら、約十年がかりで岩山に避難所を造った七十七歳の佐藤善文さん。
七百人以上が死亡した東松島市で、この手製の避難所が七十人の命を救った。
東松島の野蒜地区に、立ち並ぶ高さ約30mの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と看板が掲げられていた。
お年寄りでも登れるように段差は低く、手すりもある。
平らになった頂上には八畳の小屋と東屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。
近くに住む土地の所有者である佐藤さんが、十年前から退職金を次ぎ込んで一人で造ったもの。
「避難所は家からすぐの場所になくちゃってね」
住民には「佐藤山」と呼ばれていた。
地震があった十一日。佐藤さんが家族四人と犬を連れて登ると、既に四十人程がここに避難していた。
押し寄せた津波は立ち木や家屋をバリバリと倒した。一旦波が引いた後、「第二波には耐えられない」とさらに人がやって来た。
「線路の辺りで波に巻き込まれた」
という傷だらけの男性など四人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。
避難者は七十人程になり、お年寄りや怪我人は小屋でストーブを焚き、男性陣は東屋で焚き火をして夜を明かした。
一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの犠牲者が出た。
佐藤さんは「老後の道楽もかねて造った避難所で一人でも多く助かってよかった」と喜ぶ一方、
「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」と悔しさも滲ませる。(朝日新聞2011/3/より)

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『稲むらの火』を思い出す話しです。
物語の舞台は江戸時代の和歌山で起きた安政南海地震、モデルはヤマサ醤油の前進・浜口儀兵衛家当主の濱口梧陵ですが、ハーンは明治三陸大津波にも着想を得て描いたといいます。
史実の濱口梧陵はその後も村の復興に尽力し、当時最大級の広村堤防を四年の歳月と4665両という莫大な私財を投じて修造した地元の名士です。
誰もやらない事をやる。誰もやらないからこそやれ。
正しいと思ったら、たとえ何を言われてもやり通す。
出来れば、自分だけではなく誰かの為に。
東北に起きたもう一つの『稲むらの火』は、教えてくれるような気がします。
無駄な努力なんて無いという事を。