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「抗議」と「攻撃」は違うもの

これはこれ、それはそれ。問題をごっちゃにしてはいけない。
ましてや、八つ当たりの免罪符にしたり、関係者の人格攻撃にすり替えるなど言語道断です。

原発事故とその対応のまずさで東電への批判が高まる中、「抗議」の名を借りた「攻撃」が過熱しています。
東電のPR施設「電力館」の壁に赤スプレーで「原発反対」と落書きしたり、計画停電の電車の遅延に腹を立てて敷地内に投石したり。
果ては、福島第二原発のゲートに街宣車で突っ込み、門を壊して敷地内に侵入した男が逮捕されるという珍事まで起こる始末です。(朝日新聞2011/4/2)
こうなるともう手口が子供染みているだけでなく、ただの的外れな「妄挙」ともいえるような気がします。
確かに、東電の組織体質と事故対応はまずかった。
最高責任者たる社長は「安否不明」だの「雲隠れ」だの「計画入院」だの揶揄される程存在感がない。
人命より利益を優先し、情報開示は遅く、酒盛りに耽るなど、同じく経産省と癒着する原子力安全委員会や保安院幹部も国民を不安にさせてばかりです。
使用済み核燃料棒を揺れに弱い上階に置いて蓋もしないなど、地震国の日本に合わないGEの設計ミスは免れませんが、1960年代に運転を始めた構造物を改良もしないで使い続けた東電の危機管理意識のなさも、また免れない責任である事に変わりないでしょう。

ですが、感情的になった所で問題は何一つ解決しません。
炉心は止まってくれないし、放射能も消えてくれる訳ではありません。
重要なのは事態の収束です。

非難の矢面に立たされた東電、その東京支店は直接間接問わず連日のように苦情・抗議が殺到してパンク寸前。
対応する社員の中には「自分も福島に行って手伝いたい」とまで言う人もいたとか。
「原発の復旧がうまくいかない中、お客さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今は我慢するしかないとみんなで言い合っている」
「(バッシングからの社員の安全に)危機感は持っているが、そもそも、こちらが迷惑をかけている側でもあるので…」
と支社幹部場の社員も複雑な思いのようです。

しかし、恐らく最も辛い立場に置かれているのは、今も被曝の危険と戦いながら原発で作業を続ける作業員。
そして、その原発で働き、その安全を社に言われるままPRしてきた地元の社員ではないでしょうか。
そんな彼らが、自らも被災しながら避難所を手伝っているといいます。(朝日新聞2011/3/30)

福島第一原発広報部のグループチームリーダーだった女性は、「原発の町」大熊町で生まれ育ち、
原発は「あこがれの職場」だったそうです。
「『津波がきても大丈夫です』って百回くらい言いました。
湾がリアス式になっていないから、大きな津波が来てもパワーが拡散されて絶対安心って」
広報を担当した七年間。「原発は安心安全」と説明し続け、地元の中学校での「放射能教室」開催も手伝ってきたという女性。
「みんなに石をぶつけられて、罵られても仕方が無い」と思ったというが、避難所の人達は
「よう手伝いに来てくれたなぁ」「あんたは大丈夫か?」と声をかけてくれた。
故に「とても温かいのが、かえって辛いのです」
同広報部に所属していた男性も、避難所で東電との連絡役として原発の現状を伝える傍ら、機能移転した役場の清掃を手伝っている。
「地域への貢献を原点に仕事をしてきたつもりだった。
今回の事故で、避難所生活を強いられる方々を目の当たりにして、非常に申し訳ない気持ちで一杯です」
東電によると、計三十五人の社員を交代で原発周辺の町村に派遣しているという。