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その時、保安院は…逃げ出した

ところで、気象庁の放射性物質拡散予測をIAEAには報告しながら一般には公開しない政府と保安院(経産省)と東電の隠蔽体質は改まる気配がない。
ドイツやノルウェーが拡散予測を公開していながら、当事国である筈の日本が公表しないとは、それこそ異常事態に見えてなりません。
風向きという予測しきれないファクターを含め、図面通りに真円で放射性物質が拡散する事はありえないので、公的機関で算出されたデータは大事です。
ですから、ただ「半径何km圏内」という話しに終始している政府発表や報道は、目くらましではないかと邪推してしまいそうです。

その上、原子力安全委員会が「復旧作業員の大量被曝に備える造血幹細胞」を「採取は不要」と切って捨てました。
理由は「被曝を前提とするほど危険な場所で作業していることになれば、国民の不安感や諸外国の不信感をあおることになりかねないという政治的配慮」。
作業員の命より政治的配慮を取ったというのです。
ちなみに、1999年の茨城県東海村の臨界事故では、作業員二人が他人の造血幹細胞の移植を受けたが死亡。
だが、自分の細胞であれば合併症を防ぐ事が出来る上、回復も早まる。
費用の自己負担は約二十万円だが手術の必要もない。(産経新聞2011/4/3より)

ネット上では、「原子力の専門知識もない保安院は解体すべき」とか「東電は賠償において(水俣病の)チッソになるべき」といった意見も出てきました。
そんな意見を裏付けるような記事を読みました。

福島第一原発で保守の仕事を請け負う二十七歳の社員は、元請けの協力会社から打診され「行きます」と志願。
内容は五号機の冷温保持作業。
原子炉が爆発したら終わりだが、この仕事を九年間続けてきた経験から、招集がかかるうちは何とかなると判断した。
ただ、中には会社員として行かざるを得ないという人もいて、車内の空気は沈んでいた。
年長の作業員は『もう死ぬのか』と青い顔をしていた」
ところが、十五日に二号機が爆発した際、現場から5km地点の緊急時対策拠点はもぬけの殻だった。
指揮官である筈の経済産業省原子力安全・保安院の職員らは、約50km離れた郡山市まで退避していた。
「誰かがやらなきゃならないことだから、やっている。ほかの専門的な仕事と職種が違うだけのことだと思う。
保安院の人たちもそこに作業員がいる限り、とどまるのが仕事ではないか。
専門家が住民より遠くへ逃げたら、誰を信じればいいのか。
そういう人たちがいるから、原発へ行く者が英雄視されるのではないか

と社員は話した。(産経新聞2011/03/30より)

幕府軍の大将でありながら大阪城を逃げ出した徳川慶喜(政治的判断やアメリカの工作説も有り)や、
満蒙開拓団や日本人入植者ら民間人を置き去りにして先に逃げた旧陸軍関東軍を連想してしまうのは大袈裟過ぎるでしょうか。
「英霊」という名の「英雄」を作り上げては持ち上げ、保身の捨て駒を募っては犠牲者を増やし続け…
「挙国一致」の名の下に、集会、歌舞音曲、外食、諸消費活動を「統制」し、
同調しない者に「非国民」のレッテルを張って八つ当たりの免罪符にし…
挙句、国民を導く立場だったはずの人間は、国民とその生命と財産を売り渡すという所業に手を染めた。
こんな六十余年前の悪夢再来を日本人が…否、世界中の心ある人々が防げるように、些細な事でも発言を続けていきたいと思います。

ですが、こんな嬉しいニュースもありました。福島県の野菜モニタリングで全品に安全が確認されたそうです。
三月二十四日に採取した検査(37市町村14品目27点)では、県北の伊達市の花ワサビから、暫定基準値(1kgあたり2000ベクレル)を500ベクレル上回る放射性ヨウ素が検出された。
しかし、三月三十一日の検査では43市町村の16品目49点が110ベクレルまで下がった。(産経新聞2011/4/2より)
予断を許さない事態の中で、あくまでも小さな一歩でしょうが、本当に良かったです…(嬉涙)
東京に住む件の祖母が「福島県産は危ないから食べちゃ駄目」なんて話していたのを聞いて、
「福島は地震・津波・原発の三重苦からも復興しようとしているのに、その原動力たる産業の首を絞める気ですか!?」
とムキになりそうな所だったので。(^^;
会津は子供の頃に旅行した思い出の地ですし、郡山の柏屋薄皮饅頭大好きですし(ぉ)、何より福島に友人がいる私としては他人事とは思えなかったものですから。
もともと癌のリスクが高い日本人です。今更ビビッても放射能は止まってくれません。
第一、急性被曝でない限り症状が出るのは十~二十年後だそうです。
きちんと検査された物に関しては、いつも通り購入します。
そして、被災しながら一生懸命作って届けてくれた人々に感謝していただきたいと思います。