「そんな事ないよ。性的指向は自由なんだから、そんな事で自分を否定する事はないと思うよ。だって、見てください。この見事なひまわりを。この咲き誇るひまわりがそれぞれ違うように、人間たちもそれぞれ違う。だから、世界は美しいんです。この美しい世界にさまざまな人が一緒に生きるためのルールがある。そのルールを守る端くれとして、私は思うんです。ありのままの自分、自分のやりたい事はこれじゃない…そう思いながらも人に迷惑をかけないように生きてきた変態さんたちがね、きっとね、数え切れないほどいたはずだと。ただ、どんな性的指向であれ、人を傷つける理由にしちゃ駄目だと思うんです」
ドラマ『ハコヅメ』7話 伊賀崎のセリフ
連続変質者事件を起こして追い詰められ、「タチ悪いですよね…」と自嘲する犯人にハコ長がかけた言葉。
「タチ悪い」のは自分の性的指向を同意無しに他人に押し付けて相手を傷付けた事であって、決して「自分がお姉さん側に立ったらと性的指向を一回転させた(by源)」事ではないとソフトに諭しています。
ジャニー氏が70年前に性加害 服部良一氏次男の俳優が証言|共同通信 2023.7.15
「その日の夜、ジャニー喜多川氏は5人を次々に襲った」…俳優服部吉次さんらが証言した70年前の性被害|東京新聞 2023.7.16
芸能界に限らず、家庭、学校、職場、果ては往来までセクハラは存在します。
評価や出世と引き換えにされたり、生命の危険を楯に取り脅迫されたり、立証が困難である事を見透かして一時の捌け口にされたり、性犯罪は卑怯・卑劣・下劣の三拍子揃ったまさに鬼畜の所業です。
「普段はいい人だから」「お世話になったから」「才能ある人だから」などという擁護は論外です。
一人の一人前の社会人である以上、犯した罪はきっちり償わなければなりません。
一方で、「作品(※仕事)に罪は無い」「罪を憎んで人を憎まず」というのは理解出来ます。古典を嗜んでいると、昔の芸術家の多くは「その時代の犯罪者」「現代だったら犯罪者」「犯罪予備軍」にカテゴライズ出来てしまう人物だったりします。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」になってしまうと、ほとんどの古典的名作がお蔵入りになってしまう事は必至でしょう。
何より、現代の映画などのように多くの人が製作に関わる作品が、たった一人の犯罪で社会的に抹殺されてしまうのは、巻き添えを喰ったスタッフやキャストが気の毒とも言えます。テレビ放映やCMのような不特定多数の目に触れる形は無理だとしても、劇場公開、ディスク販売・レンタル、ネット配信など「観たい人がわざわざお金を払って観られる」形なら、観る・観ないを選べるので有りなのではと思います。そして、その収益が製作関係者への損害賠償と被害者の救済に充てられたらいいのにとも思います。
人は基本的に、社会の中で生きています。社会の一員としてTPOをわきまえましょう。
TPOは突き詰めれば、その場に居合わせた全員が角を立てずに過ごす為のマナーのようなもの。
地域や時代によって価値観が変化するのに従って、TPOも変化します。昭和の正解と令和の正解が違うのも時代の流れです。
それでも、変わらない事はあります。
それは『相手の気持ちを考えて振る舞う』事ではないでしょうか。
性的指向も同じです。好みは本能と人生経験から来るものですから、みんな違ってみんな良いのです。二次元でもSMでも制服系でも自由です。
ただし、それは自分の指向であって、相手の指向ではありません。あなたにはあなたの指向があるように、相手にも相手の指向があります。あなたの指向に相手が合わせてくれないからといって、その相手を差別主義者呼ばわりしたり、人格を否定したりするのはお門違いです。
同性が好きな人は、異性は好みじゃない。デブ専の人は、モデル体型は好みじゃない。張り合いを求める人は、大人しい人は好みじゃない。そもそも性愛が不要な人は、性愛を求める人は好みじゃない。その逆もまた然りです。
他人の指向を押し付けられて苦しい思いをしたのなら、自分の指向に他人を巻き込むのはやめましょう。
そんな事をすれば、それはかつてあなたを苦しめた人々がしたのと同じ、同調圧力や支配欲に駆られた『暴力』になってしまいます。
相手の気持ちを無視した一方的な行為は『好意』の名を借りた『暴力』であり、ストーカーや強制猥褻罪などの犯罪行為であり、人権侵害に他なりません。
性的な『同意』は、お互いの気持ちを尊重し合う『信頼』がなければ出来ない約束です。
本当に相手を愛しているというのなら、相手が嫌がる事をして傷つけるはずがありません。
それは『愛』といっても、相手を手に入れたい、自分の支配下に置きたいというただの『自己愛』ではないでしょうか。
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ちなみに、冒頭のロケ地は神奈川県の座間ひまわり園だそうです。毎年ひまわりの見頃になると、イベントが開催されるそうです。