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ネットの使い方≒人との話し方

「現代人の一日の情報量は昔の人の一生分。みんな、次々新しいものを求め、無責任に作り上げる。それを褒めて叩くことで一体感を味わう」
ドラマ『ペンディングトレイン』9話 加藤の台詞


現代のみならず、人間社会におけるコミュニケーションの落とし穴を端的に指摘しています。
この9話は、ごく普通の人々がある超常現象に巻き込まれた事で『被害者』として世間の好奇の目に晒される苦しみが、とてもわかりやすく描かれています。
ドラマ『ラストマン』8話やアニメ『推しの子』6-7話でも、ネットの的外れな誹謗中傷による被害者の苦悩がテーマとなっていました。


『みんな』と云う名の不特定多数による一体感は、『群衆心理(※集団心理)』と云う特殊な心理状態を生み出します。 この状態に陥ると、衝動性や興奮性が高まり、判断力や理性的思考が低下して、声の大きい意見に流されやすくなります。
この現象自体は、さして珍しくもありません。
スポーツ観戦におけるサポーターの熱狂的な応援、会社や学校などにおける井戸端会議で飛び交う根拠の無い噂話と無責任な憶測、仲間内における悪ノリなど、誰にとっても身近なシチュエーションです。
21世紀はそこにSNSが加わり、不特定多数の間で世界規模で起きるようになりました。

アメリカの社会心理学者ラルフ・H・ターナーは、群集を構成する人々の感情が同一の方向に収束していくメカニズムとして『感染型』と云う仮説を提唱しています。
ある種の感情、観念、行動様式が暗示や模倣を媒介に人々に感染し、無批判的に受容されてゆく結果、群集心理の雪崩現象を引き起こすという説です。
悪意であろうが善意であろうが瞬く間に伝染し、「こうであって欲しい」「こうに違いない」と云う一種の共同幻想を作り上げる。謂わば『幻想のパンデミック』が引き起こされると云う見方です。
SNSの一体感は、見ず知らずの誰かを助けたり励ましたりする事も出来る反面、悪を必要以上に吊し上げたり冤罪を生み出したりもするなど、人一人の人生を簡単に破壊する威力を持つ劇薬です。
韓国では実際に、芸能人がSNSでの誹謗中傷を苦に自殺する悲劇が相次ぎ、社会問題になりました。
2019年8月に常磐自動車道であおり運転殴打事件が発生し、加害者の車の同乗者と間違えられた女性が誹謗中傷を受けた「ガラケー女」事件も記憶に新しい所です。
恣意的に切り取られた情報のみを間に受けて、陰謀論に染ったり、ネットリンチに加担するのも、まさに『群衆心理』に陥って理性が飛んでいる状態です。

インターネット黎明期からのユーザーですが、「渋谷スクランブル交差点で見せられないものは出すな」を目安に交信してきたかいあって、深刻なトラブルにみまわれた事はありません。
父からは「一方聞いて沙汰するな」と常々教え込まれ、その父も祖父から「一冊の本を鵜呑みにするな。最低でも、異なる三人の出典を見つけなさい」と言われてきたそうです。
何かを発信する時は、ファクトチェックは欠かさないように。でも、誤報や調査不足で間違いがあったら、固執しないで速やかにお詫びして修正する。大切なのは事実であって、発言者の面子ではないのです。

世間を揺るがす出来事があったら、公式や本人の発信を待ちましょう。
何の関わりもない外野が関係者に凸するのは、業務妨害であり脅迫です。
特定班なる個人情報の暴露行為は名誉毀損であり、認可を受けた探偵業でも探偵業法違反に当たります。

アドラー心理学でも、人間の悩みの大半は人間関係であると言われています。
リアルタイムで感覚を生じる自分の事ですら、完璧に把握している人間はそう居ません。ましてや、切り取り情報から他人の全てを知った気になるなど、勘違いもはなはだしいでしょう。
決めつけない。攻撃しない。押し付けない。でも、拒否してもいいし、距離を置いていい。他所は他所、うちはうち。親しき仲にも礼儀あり。心と体のプライベートゾーンに土足で踏み入るのは人権侵害です。
時代と共に価値観が変わっても、伝達手段が変わっても、誰かと誰かを繋ぐ「思いの伝え方」は変わらない筈だと愚考します。

…ちなみに、ペントレは加藤君と米ちゃんの有能&根明コンビ推しです。
あと、直哉と優斗は雇用主と先輩に恵まれたと思う。


「ガラケー女」に間違われた女性に殺到した着信300件とDM1000件超 名前と顔写真を晒され「犯人だ」|PRESIDENT Online 2020.10.8

ネットの“ぬれぎぬリンチ”深刻化 「いつか犠牲者出る」被害者の恐怖 加害者にならないために|西日本新聞 2019.9.4

ネット誹謗中傷で自殺図った高校生「発信者に罰も必要では」|東京新聞 2020.5.28