※2022-4-23 修正
※2022-7-23 追加

Xデーと言われていた2月16日を過ぎてしばらくした24日、ロシアによるウクライナ侵攻が遂に始まってしまいました。
一個人としてここに、武力による現状変更に抗議します。
#NoWar
#StopRussia
ソ連崩壊によるワルシャワ条約機構の消滅後、NATOの東方への拡大はロシアからすればさぞ脅威に映った事でしょう。
特にロシアとウクライナは歴史的に『兄弟国』(※詳しくは「キエフルーシ」「タタールのくびき」で検索)とも言える間柄であり、また地理的にもモスクワに近過ぎます。
かつてアメリカに向けた『キューバ危機』をそっくりやり返されたような状況だと、ロシアが受け取っても不思議ではありません。
アメリカとNATOは、ウクライナは主権国家であると原則論を振りかざし、いたずらにロシアを追い詰めたとも言えます。
一方のロシアもNATOとの緩衝地帯を欲するあまり、独立国であるウクライナの主権を無視する暴挙を東部紛争などでしでかしてきました。またウクライナ側も、
フランスのマクロン大統領が『ウクライナの"フィンランド化"(※中立化)』を発言して間もなく取り消しましたが、やや先走り過ぎていたとはいえ、現実的な落とし所は最初からそれしかなかったように思われます。
有史以来、人類は破壊と争いの歴史を繰り返してきました。
しかし、それも第二次世界大戦で終わりにしようと世界中で多くの人々が懲りたのではないでしょうか。
何の為に敗戦国が武器を置き、領土的野心を捨てたのでしょうか。
平和とは、勝者の責務と敗者の忍苦によって保たれる『小康状態』に過ぎないのです。
勝った者には、より良い秩序を築く責任があります。それで初めて、負けた者が矛を収めて従うと云うものでしょう。
今のロシアがウクライナを実質的に支配したとして、そこに言論の自由も政権を民主的に選ぶ権利も保証されない公算が大きいです。
そんな未来を憂いて、迫りくるロシア軍と戦おうと銃を執るウクライナ人を誰が愚かだと嘲笑えるでしょうか?
戦後の現実は、戦勝国の核を背景とした軍事力と拒否権の濫用で、国連安保理は長らく機能不全とも言える有様でした。
大変残念な事に、平和な『やさしいせかい』とは、強者と強者に庇護された者にのみ許された贅沢品なのです。
『不戦の誓い』とは、黙って殺される事でも、戦う術を持たない事でもありません。
武力を持ち、それを裏付けにした発言力を持ち、自衛以外の紛争解決に行使しないと云う『平和主義』の姿勢を示す事で味方を増やす外交戦略の事ではないかと愚考します。
一分一秒でも早い戦争の終結を、一人でも多くの命が存える事を、自由と平和が贅沢品ではない世界を、切に切に願います。
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今回のウクライナ侵攻を『プーチンの野望』と形容するのなら、大統領再選を狙っていたビル・クリントンが東欧系有権者への受け狙いの為にNATOを東方へ拡大した(※遠藤乾 北海道大学教授の説)事も遠因であり、そもそも『プーチンの野望』に火を付けたのは『クリントンの野心』であったとも言えるでしょう。