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【雑感】記憶から記録へ、反省から前進へ

八月は「戦争の悲惨さを忘れない」が我が国の風物詩。
ですが、非常時に対応する為の思考を捨ててきただけになってはいませんか?

目の前に「敵(=ウィルス・天災・人災等)」が迫っているのに正常性バイアスに固執すれば、性懲りもなく「負け戦」を繰り返すだけでしょう。

その時、犠牲になるのは一番弱い立場の人々です。
弱い立場は、金銭や能力など様々な制約から選択肢が狭いもの。
わざわざ弱い立場になる生き方をやめられる人は、やめてもいいと思います。
弱い立場の人が減れば、弱い立場を助けられる余裕ある立場が増え、それで救われる人も増えるかもしれません。

人間は長期の緊張状態にさらされると、ストレスから脳が萎縮して精神を病む構造を持って生まれた生き物です。
無理な「一生懸命(※誤用)」ではなく、合理的な「一所懸命(※本来)」で、他者に手を差し伸べられる余裕ある生き方の方が余程「サステナブル(=持続可能性)」ではないでしょうか。

人類は未だ、何かを搾取しなければ社会を回せない程度の種族です。
大きな不幸が起きた時、祈る人が居てもいい。次を見据えて、動く人が居てもいい。
全てを犠牲にしてでも不戦を貫く人。必要な犠牲を出してでも戦う人。どちらも居てもいい。
自分を守り、大切な人を守り、生きる場所を守る。その為には、いろいろな方法があってもいい。
「多様性」とは、個人攻撃や人格否定を除く「一般論」であるなら、考えを自由に体現出来る社会の事ではないでしょうか。

ですから、高齢化する戦争や公害被害の「語り部」を若者が「継承」するという取り組みには、少しばかり疑問を禁じ得ません。
実際に起こった出来事である「事実」を正確に集めて公開すれば、社会で共有可能な「記録」になり得ます。
ですが、その出来事を体験した人の「感情」は、何者にも否定されるべきではない、その人一人だけのものです。
「脳は"嘘"をつく」とはよく言ったもので、人間は他人の感情や聞いただけの情報まで「自分の体験」のように錯覚してしまう事が往々にしてあります。
個人的には、伝言ゲームになりがちな語り部の継承よりも、体験者の語る姿から声までを全方位データ化した"完全デジタルアーカイブ"を残して公開する方が、今の時代に合っているように思います。

さらに、例えば「戦時猛獣処分」について知る時は、有名な東京上野動物園(※絵本『かわいそうなぞう』はフィクション)だけではなく、絵本『ぞうれっしゃがやってきた』のモデルになった名古屋東山動物園と軍獣医(※軍馬や軍用犬等の管理担当)のエピソードと併せて知る方が、余程為になるのではないでしょうか。外国の事例もあれば、より視野が広がるます。
大切なものは、どう守るのか?その為には、どう備えるのか?勝つ為には、どう戦うのか?
ある時代・ある立場で決断を迫られた"ケーススタディ"の"成功例"は、似たような状況下で判断を下す際に、有効な手段とは何かを教えてくれる手かがりになる筈です。