街が壊れ、人が傷付き、大地には死が立ち込める。
「敵」が迫り来る。確実に、容赦なく、止まる事なく迫り来る。
斃れた者、斃れゆく者、斃れゆく者を援け起こす者、援ける者をまた援く者、悼む者、祈る者。そして、「敵」と戦う者。
震災と放射能という「見えざる敵」と戦う日本。
内戦という名の「敵」と戦うのは、リビア。
三陸と地中海が、戦場になった。
自然の猛威も、暴力の連鎖も、人の命を奪っていく。一人、また一人と。無情に。
重慶爆撃被害の賠償を訴える原告団からの寄付と、四川地震の支援への感謝の言葉。
まだ革命間もないエジプトからも、革命に揺れる中東カタールからも、遠い日本へ激励のメッセージが送られました。
石巻市では、新燃岳の被害を生き残った宮崎の野菜で炊き出しが行われました。
「一人じゃない」
世界中から届いたこの気持ちが、被災者の心を照らす灯火になりますように…。
買占めも電気の使い過ぎも、確かに控えるべきです。
ですが、危惧されていた大規模停電が300万キロワット差で回避された事を見ても、実際、多くの人は協力してくれているのだとわかります。
然るに、それは被災地復興の後方支援となる為の「節制」であり、決して他人の行為をあげつらう為の「規制」ではない筈です。
商店を営む方が食品を仕入れようと箱買いしていた所を「買占めだ!」と誤解されたり。
うがい薬が切れたので買いに行ったら、ドラッグストアで「飲んじゃ駄目ですよ」と真顔で言われたり。
いくつかこういった話しが、ネットや知人から耳に入りました。
まさか、「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」とか言い出す輩が居やしないかと、少し気がかりです。
誤解を恐れずに言ってしまえば、管理人は個人的に「過剰な自粛ムード」には、全く意味を見出せません。
たとえばプロ野球。セ・リーグへのナイター自粛要請は、純粋に電力の問題です。
数万世帯分の電力を一箇所で使ってしまうなら、その分を企業や工場や電車に回すべきです。
ですが、試合(プロにとっては「仕事」)観戦の是非や鳴り物応援などは個々人の心情の問題です。
続く余震と停電で溜まったストレスを発散したい、こんな時に働き続ける為にも気分転換したいという方もいるのではないでしょうか。
テレビにおける通常番組の復活にも、同じ事が言えると思います。
画面の隅に情報を絶えず字幕で流したり、緊急のニュースが入ったら、番組を中断して報道に切り替えるなどすれば良いのです。
当の被災地からも、いつもの教育番組を見せたらお子さんが落ち着いたという声もあったと聞きます。
震災の悼み方は、人それぞれの形があるはずです。
葬儀で涙を見せない人が、大袈裟に泣く人よりも故人を想っていないなどと誰が言えるでしょう。
人助けはパフォーマンスではありません。目に見える行動だけが全てではありません。
誰にも知られず、報道もされず、今も誰かの為に働く人が大勢居ます。
幸い、西日本の方から過剰な自粛に待ったをかける声明が出されたとの事。
西日本は変電の問題(東日本と周波数が違い、変換しても毎100万キロワット程度しか送れない)もあり、東日本からは事実上独立した電源です。
むしろ、首都圏の計画停電と交通機関の間引きで充分に回らない日本経済を西日本との二人三脚で支えあっていく事もまた有意義な取り組みだと思います。
「やるべきイベントはやり、どんどん生産、経済活動をすることが西日本には大切だ」
という和歌山県知事の意見はもっともです。
そして、生産設備が全て津波につかってしまった岩沼市の精密機械加工工場の社長の言葉が頼もしい。
「機械は買い替えればいい」「金で買えない人が残ってくれたことが何よりだ」
本当に頭が下がる。東北人の我慢強さは、年期が違う。
こんな人達が居る限り、日本は大丈夫。何度でも蘇ると信じさせてくれます。
福島県から避難してきた方が、避難先で宿泊を断られたという記事を読みました。
また、福島の水道水や北関東の一部地域の農産物からも、基準値を超える放射能が検出され、農家や酪農家が風評被害を危惧しているとも。
原発から漏れる放射線への恐れと、政府や東電(+保安院)の不透明な情報開示が、こういった「三次災害」を起こし始めているようです。
差別や偏見は、「無知」「保身」「優越」からくるものではないかとも思います。
今、他県に避難してきた被災者は「被曝を避ける為に(つまり被曝する前に)」地元を離れた方々です。
海外で店頭に並ぶ日本製品の多くは震災前に出荷されたもの。
国内でも、基準値を超えた農産物が出た県では、きちんとした調査が終わるまで出荷を見送るといち早く発表しました。
私たち一般国民は、素人です。
専門家や有識者や公的機関などのデータを参考にするしかありません。
ですが、素人なりに調べて考えられる事もある筈です。
「無知は罪」です。そして、無知である事を自覚しない事もまた罪ではないでしょうか。
管理人の住む市内に、原発10キロ圏内から町ごと移ってきた方々が受け入れられました。
住民の一人として、市の措置を支持すると共に、多くのものを喪った被災者の方の前で、改めて襟を正したいと思いました。
ここに書く言葉は、報告であり、呼び掛けであり、提案であり、思索の発露であり、自分に言い聞かせているものでもあったみたいです。
こんなに夢中になって連日更新しまくったのは、どれくらいぶりだったかなと、ふと我に返った管理人でした。(笑)
たとえばプロ野球。セ・リーグへのナイター自粛要請は、純粋に電力の問題です。
数万世帯分の電力を一箇所で使ってしまうなら、その分を企業や工場や電車に回すべきです。
ですが、試合(プロにとっては「仕事」)観戦の是非や鳴り物応援などは個々人の心情の問題です。
続く余震と停電で溜まったストレスを発散したい、こんな時に働き続ける為にも気分転換したいという方もいるのではないでしょうか。
テレビにおける通常番組の復活にも、同じ事が言えると思います。
画面の隅に情報を絶えず字幕で流したり、緊急のニュースが入ったら、番組を中断して報道に切り替えるなどすれば良いのです。
当の被災地からも、いつもの教育番組を見せたらお子さんが落ち着いたという声もあったと聞きます。
震災の悼み方は、人それぞれの形があるはずです。
葬儀で涙を見せない人が、大袈裟に泣く人よりも故人を想っていないなどと誰が言えるでしょう。
人助けはパフォーマンスではありません。目に見える行動だけが全てではありません。
誰にも知られず、報道もされず、今も誰かの為に働く人が大勢居ます。
幸い、西日本の方から過剰な自粛に待ったをかける声明が出されたとの事。
西日本は変電の問題(東日本と周波数が違い、変換しても毎100万キロワット程度しか送れない)もあり、東日本からは事実上独立した電源です。
むしろ、首都圏の計画停電と交通機関の間引きで充分に回らない日本経済を西日本との二人三脚で支えあっていく事もまた有意義な取り組みだと思います。
「やるべきイベントはやり、どんどん生産、経済活動をすることが西日本には大切だ」
という和歌山県知事の意見はもっともです。
そして、生産設備が全て津波につかってしまった岩沼市の精密機械加工工場の社長の言葉が頼もしい。
「機械は買い替えればいい」「金で買えない人が残ってくれたことが何よりだ」
本当に頭が下がる。東北人の我慢強さは、年期が違う。
こんな人達が居る限り、日本は大丈夫。何度でも蘇ると信じさせてくれます。
福島県から避難してきた方が、避難先で宿泊を断られたという記事を読みました。
また、福島の水道水や北関東の一部地域の農産物からも、基準値を超える放射能が検出され、農家や酪農家が風評被害を危惧しているとも。
原発から漏れる放射線への恐れと、政府や東電(+保安院)の不透明な情報開示が、こういった「三次災害」を起こし始めているようです。
差別や偏見は、「無知」「保身」「優越」からくるものではないかとも思います。
今、他県に避難してきた被災者は「被曝を避ける為に(つまり被曝する前に)」地元を離れた方々です。
海外で店頭に並ぶ日本製品の多くは震災前に出荷されたもの。
国内でも、基準値を超えた農産物が出た県では、きちんとした調査が終わるまで出荷を見送るといち早く発表しました。
私たち一般国民は、素人です。
専門家や有識者や公的機関などのデータを参考にするしかありません。
ですが、素人なりに調べて考えられる事もある筈です。
「無知は罪」です。そして、無知である事を自覚しない事もまた罪ではないでしょうか。
管理人の住む市内に、原発10キロ圏内から町ごと移ってきた方々が受け入れられました。
住民の一人として、市の措置を支持すると共に、多くのものを喪った被災者の方の前で、改めて襟を正したいと思いました。
ここに書く言葉は、報告であり、呼び掛けであり、提案であり、思索の発露であり、自分に言い聞かせているものでもあったみたいです。
こんなに夢中になって連日更新しまくったのは、どれくらいぶりだったかなと、ふと我に返った管理人でした。(笑)