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「他者の権利の尊重こそが平和である」

1994年1月1日。アメリカ、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)が発効。

その陰で、メキシコ憲法第27条が廃止されました。
この27条は、先住民インディオの土地・資源を本源的に国家に帰属すると定めており、この条項によって先住民が暮らす共用地は買収による私有化から守られていました
しかしNAFTAは、この憲法を「投資の障壁である」として、メキシコ政府に廃止を求めたのです。

たかが、経済協定如きが一国の国是(※raison d'Etat)たる憲法を左右出来るものでしょうか。
憲法とは、主権国家の「行動の基本準則」であり、「国家の理性」です。
外圧に圧されて、国の屋台骨に手を付けたメキシコの代償は大きなものでした。
自由競争に敗れて失業した多くのメキシコ農民が農村を追われ、首都のスラムに溢れかえりました。一方、国境を北へ越えてアメリカに流入した人々は、今アメリカ社会を揺るがしている「ヒスパニック系移民」「不法移民」問題の当事者になってしまっています。
またメキシコ南部チアパス州ラカンドンでは、木材のグローバル商業化、石油やウランの発掘計画の為に、大規模農園主に雇われた白色警備隊と呼ばれるギャング組織が、土地に住む先住民を強制排除しようと暗躍する無法地帯が生まれつつある有様でした。

そこへ「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」と立ち上がる人々が現れました。
『サパティスタ民族解放軍』
チアバスの貧しい先住民族の農民を中心として組織された『反・グローバル主義』『反・新自由主義』を掲げるゲリラ組織です。
この『サパティスタ民族解放軍』とは何者なのか?
それを知る為には、メキシコの苦難に満ちた近代化の歴史を紐解く必要があります。

これは、サパティスタのルーツと、メキシコ憲法誕生の物語です。

今から百余年前。メキシコ革命が勃発しました。
ラテンアメリカ最初と云われるこの社会革命で、1910年から国内を二分する激戦が10年以上も続きました。

始まりは、1877年以来33年間もメキシコ大統領の座にあったポルフィリオ・ディアスに対する反対運動でした。
1860年代にフランスの侵略を撃退した英雄の一人だったディアスは、大統領の座に就くと憲法を改正して無期限の大統領再選を可能にし、反対派をことごとく排除。
続いて、「メキシコを近代国家にする」として、外資――特にアメリカからの投資を歓迎します。
ですがこれは、無原則な外資導入によって国内の主要産業の殆どを外国資本に売り渡す政策だったのです。
結果、現在まで使用される事になる鉄道網と電信網が整備され、経済発展が目覚ましく進んだかに見えましたが、その影で貧富の格差は極端に拡大。
都市部では、その日暮らしの貧しい労働者が溢れる有様となりました。
そして農村でも、多くの農民が自分たちの土地を失い、大農園の農業労働者と化していました。
ディアス政権は土地制度の「近代化」を謳い、(白人の法律上)所有権が曖昧だったインディオの土地を接収。それを外国資本や大農園主に売却する政策を進めた為、メキシコ農民の99.5%が耕す農地を失っていたのです。
先祖代々の土地を取り戻そうと抵抗する先住民たちに対し、政府は軍隊を差し向け、大農園主や外国資本は金で雇った私兵で弾圧しました。

しかし、順調に見えたメキシコの経済発展も、1907年に発生したアメリカの不況の影響を受けて揺らぎ始めます。
大農園の経営も悪化し、雇われていた農業労働者は解雇され、やはり同様に職を失った鉱山労働者を中心にメキシコ各地で労働争議が頻発し出したのです。
そんな状況下でも、ディアスは1910年の大統領選に立候補し、ディアス再選反対を掲げて立候補した新興大農園主フランシスコ・マデーロに反乱扇動の罪を着せて選挙が終わるまで投獄するという「民主的な選挙」をかなぐり捨てる行為で再選。権力の座に居座り続けます。

その後、長期独裁政治で腐敗の極にあったディアス政権に飽き飽きしていた国民は、マデーロと共に武装蜂起してディアスをフランス亡命へと追いやりますが、その内幕は老齢80歳のディアス一人を生贄にして体制を維持しようとするディアスの側近たちとの裏取引というどうしようもないものでした。
メキシコ国民は、大統領の座に就いたマデーロが貧困対策に無関心である事に失望し、そのマデーロを暗殺して大統領の座を奪ったウエルタ将軍の反革命の反動に遭いながらも、今日明日を食べていく為、自らの力で生きていく為に、大きな犠牲を出してなお戦い続けます。
しかし、そんな国民の頼みの綱だった革命派は、分裂と内ゲバとも云える内戦を繰り返し、大統領の再選を絶対禁止した憲法を改憲してまで権力を維持しようとする者も現れ、かつての敵だったディアス政権と変わらない政治腐敗に陥っていきました。

そんな泥沼のような状況下で、1934年にラサロ・カルデナスが大統領に当選すると事態は一変。
前任のカジェス政権の傀儡に過ぎないと思われていたカルデナスが最初に行った事は、カジェスを始めとする腐敗した革命政権の黒幕や労働貴族と化していた組合幹部の追放でした。
そして、1917年の革命憲法に規定されながら、遅々として進んでいなかった農地改革を強力に推進します。
さらに、依然として外資の支配下にあった鉄道と石油産業の国有化に着手。石油産業の国有化は、当然の如くアメリカの猛反発を受けましたが、カルデナスはこれを断行しました。
やがて時は流れ、1940年。カルデナスの大統領任期が切れた事で、長く暗いトンネルを這うようだったであろうメキシコ革命は、国民の苦難の歴史と共にようやく終結しました。


時は遡って、マデーロがディアス政権を倒して大統領の座に就いた頃。
共に革命を戦いながら、マデーロと最初に決裂したのが、モレーロス州で農民解放運動を指揮していたエミリアーノ・サパタでした。
彼は「強奪された土地・森林・水利などの財産は、正当な権利を有する村及び人民が直ちに保有するものとする」とした『アラヤ綱領』を発表。マデーロ政権に反旗を翻します。
マデーロがウエルタ将軍の裏切りで暗殺され、そのウエルタを亡命に追い込んだ革命派の流血の派閥争いの末、内戦に勝利したカランサ政権が誕生。
支配権を握ったカランサ派は新憲法の制定に乗り出しますが、カランサ本人の意に反して、彼の陣営の将軍たちが制定した憲法は、敵対勢力である筈のサパタらの主張を取り込んだ内容になっていました。
貧しい農民や労働者たちを率いて革命を戦った将軍たちは、後方からの指揮に終始していたカランサとは違い、メキシコの大衆が何を求めているのかをよく知っていたのです。
これが、その後のメキシコの政治体制の基本となった1917年の革命憲法です。
エミリアーノ・サパタ本人は、他の反カランサ派が次々と瓦解する中、モレーロス州の山中でゲリラ戦を続けていましたが、1919年4月10日に「サパタ派に寝返りたい」と近付いて来た政府軍の将校に暗殺されました。
しかし、彼が唱えた「私有財産絶対の思想の否定」「大土地所有者に国家が介入して農地改革を行う権限」「労働者の権利保護」は憲法に刻まれ、メキシコ国家の礎となりました。
一方、この憲法の内容を無視して政治を進めたカランサは、民衆の支持を急速に失っていきました。
焦った彼は大統領選で対立候補を強制的に排除しようとして失敗し、配下の将軍たちの殆どに離反されます。その一ヶ月後、逃亡先の土地の有力者に暗殺されるという最期を遂げたのです。


そんなエミリアーノ・サパタに因んだ『サパタ主義(サパティスモ)』に基づき、サパタの思想を引き継いだ革命行動が『サパティスタ民族解放軍』です。
貧しい地方だけでなく、政府が推し進めた低賃金と労働環境悪化にあえぐ都市部にも多くの支援者が存在し、さらにインターネットを通じて世界的な支援も受けています
最初こそ武装蜂起で抵抗を試みたものの、インディオ居住区が政府軍の空爆に遭った事で、武力や脅迫に訴えない対話路線に転換。コロンビア革命軍、IRA、連合赤軍のような従来の所謂左翼ゲリラとは一線を画しています

今、メキシコは皮肉な事に100年前と酷似した苦境に再び立たされています。
そして、「日本にはNAFTAから学んでほしい」(メキシコの労働組合活動者モンテス氏)と遠い異国に忠告してくれています。
それが、彼らメキシコ国民の苦しさ無念さの大きさを物語る行動だと思えるのは、果たして考え過ぎでしょうか。

NAFTAが「投資の障壁になる」として廃止させたメキシコ憲法第27条は、16世紀から抑圧に耐え続けたインディオの悲願の結晶であり、エミリアーノ・サパタが主導した革命の記念碑的存在だったのです。
多くの国民が数知れない血と涙を流してようやく勝ち取った憲法を、外国の金儲けの為に改正させるという暴挙は、その国の歴史を踏み躙るに等しい文化への冒涜行為ではないでしょうか。

国を支える国民を置き去りにし、その国が築き上げてきた遺すべき文化にまで干渉する『怪物(モンスター)』――
その国の未来を奪い、過去を踏み躙る『新自由主義』の権化――
それが、TPPの正体に思えてなりません。

「El respeto al derecho ajeno es la paz.(他者の権利の尊重こそが平和である)」
1867年に先住民族から選ばれた初のメキシコ大統領ベニート・フアレスの言葉です。
彼は、メキシコ帝国を倒して共和制を復活させ、民主主義とインディオへの平等な権利を導入した「建国の父」と讃えられる人物です。
その肖像画は20ペソ紙幣に描かれており、彼の誕生日である3月21日はメキシコの祝日になっています。

自らの権利を尊重して欲しければ、他者の権利も尊重する。
人間として当然の態度であり、公平なギヴ・アンド・テイク、健全に切磋琢磨するフェアトレード精神が普及してこそ、世界は持続的な安寧を手にする事が出来るのではないでしょうか。

サパティスタ民族解放軍とNAFTAとTPPと / さかさまに見るくらいで丁度いい(個人ブログ)
メキシコを動かした先住民の闘い / 田中宇の国際ニュース解説
日墨修好通商条約 / 明治時代の日本とメキシコが初めて結んだ平等条約について(Wikipedia)
日本・メキシコ経済連携協定 / 日本側が一部の農産物の市場開放に踏み切ったFTA(Wikipedia)
日系メキシコ人 / 榎本武揚の榎本移民団で入植した35人をルーツとする人々(Wikipedia)