『若者はなぜ三年で辞めるのか?』(2006年/城繁幸)と云われて久しい昨今。
その答えの一つとも云えるのが『ブラック企業』(2012年/今野晴貴)の存在でしょう。
セーフティーネットを削り、災害や公害の救済予算を利権団体に回し、国民の資産を外国に売り渡しておきながら、国民にのみ労働・納税・兵役その他諸々の滅私奉公を強いる国家は、当世流行りの「ブラック企業」ならぬ「ブラック国家」と云えるような気がします。
そんな国として恥ずべき醜態を国の顔たる憲法に入れようとしている自民党の憲法改革草案は、新自由主義に毒されて公共性を忘れた破廉恥な提言に思えて仕方ありません。
「憲法」は、国の在り方の理想を掲げるものであり、国という船が世界という荒海を進む為の羅針盤です。
実生活の利害を調整する「法律」は、時代や社会変化に応じて柔軟に改革されていくべきでしょう。
ですが、国が何処へ向かうのかを決める憲法を大した理由もなくコロコロ変えていては、羅針盤の針が差す方角をコロコロ変える船と同じ。
航海の指針無き船は迷走の果てに遭難するしかないように、方針のない或いは是と定められない組織は必然的に崩壊します。
憲法改革草案・第百二条の憲法尊重擁護義務の条文からして
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う
などという憲法とは何か全くわかっていない呆れた内容。
立憲制の日本において、国家は「憲法の内容を擁護する」のではなく「憲法の理念を守る」立場であり、国民はその「憲法の理念」を「国家に守らせる」立場です。
何もかもが逆になっています。これはおかしい!
さらに、現憲法・第十章 最高法規 第九十七条が保証していた「日本国民の基本的人権」を全て削除しているのです。
草案・第九章 緊急事態 第九十八条でも、
我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる
などと「緊急事態!」と首相が一言宣言してしまえば、「事後に国会の承認を得」さえすれば、好きなように「法律と同一の効力を有する政令を制定」出来てしまうのです。
現憲法・第二章 安全保障 第十四条から
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
を削除した事は、特権階級(封建時代の貴族やソ連時代の共産党員等)の発生とその世襲を許しかねません。
現憲法・第二十九条で「これを侵してはならない」されている財産権も、草案では「保障する」に表現がトーンダウン。
現憲法・第三十五条 住居等の不可侵からも、「侵されない」と定めている「住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利」から、草案では「権利」が削除されています。
そのように国民の人権を守る気のない政権を、一体誰が支持したがるというのでしょう?
少なくとも、私個人には自分で自分の首を絞めて喜ぶ趣味はありません。
その上、草案・新設 家族、婚姻等に関する基本原則 第二十四条では
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
この件など、教育勅語の焼き直しですか?と言いたくなるような古臭い文句です。
TPPを睨んだかんぽ叩きや、日本におけるがん保険を米保険会社に独占させろ(外資の分際で!)と迫られてるし、公的な社会保障を放棄する伏線ではないかと邪推してしまいます。
だとしたら、高齢化社会を問題視しながら、介護で家庭が崩壊していく実態を無視した挑発的な文言です。
だいたい、国民の生活に口を出すような国は、独裁体制やら監視社会やら、過去にも碌な国がありません。
(※明治憲法、教育勅語、軍人勅諭の内容そのものに特におかしな事は書かれていませんが、これらを曲解・悪用した輩が日本の組織を上から下から崩壊させた事は確かだと思います)
わかりやすいまとめページを作っている方がいらっしゃいました↓
【ヤバすぎだ、と話題に・・・自民党 日本国憲法改正草案対照表 2012版】
自民党は2012年衆議院選挙で「日本を取り戻す」とスローガンを掲げ、大勝しました。
ですが、一体何から「日本を取り戻す」のか?具体的には何もわかりませんでした。
ただ単に、民主党から「日本(の政権の座)を取り戻す」だけの意味だったのでしょうか?
それとも、戦後アメリカの不平等条約や中国・ソ連の外圧の中で、他国を撃たず殺さずの努力を続けて一応の平和を保った「日本を(戦後レジームから)取り戻す」という意味でしょうか?
ですが、ここで云う「戦後レジームからの脱却」とは即ち「戦前レジームへの回帰」に思えてしまいます。
「政治は結果責任」だというなら、あれだけの生命財産を喪失させた「敗戦」という「結果」の「責任」、その総括はどうなっているのでしょうか?
政治家、官僚、軍人など国家公務員の仕事は、善悪はともかく、自国の国益を守る事。
国民が懸命に稼いだお金の一部を税金という形で預かり、そんな国民の安全と国家の安定を預かる立場です。
その国益を著しく損ねた「敗戦」という「結果」は、重い「責任」を問われて当然の失政である筈。
それらの総括もしないまま、形ばかりの「愛国」で全てを覆い隠してしまうのは、ただの反対意見潰しでなくて何なのでしょうか。
「日本国憲法はアメリカに押し付けられたものだから改憲が必要」と言いつつ、不平等条約たる日米地位協定を対等な内容に改定しようともしない矛盾。
「押し付けられた」はずの憲法の下で締結されたサンフランシスコ条約発効の日を天皇皇后両陛下をだしにしてまで「主権回復の日」として祝うなど、最早滑稽としか言い表せません。
原発も、787も、戦後レジームの脱却先になりそうな戦前レジームも、「安全確認」無しに「再稼動」する自民党のアメリカ盲従姿勢には、もう嫌な予感しかしません。
>ブラック国家に住んでるんだが、もう俺は限界かもしれない
こんな書き込みがされるような日が来ない事を祈るばかりです。
スタジオジブリ小冊子『熱風』2013年特集 憲法改正 / 高畑勲氏が説得力のある寄稿をされています(web公開PDF)
【選挙に行く前に必読】スタジオジブリの考え 憲法改正について / 『熱風』PDFが閲覧出来ない方向けに文面画像有り(個人ブログ内)
※7/21追記