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「英雄待望論」という他力本願

昨今、「強いリーダーシップ」がマスコミで連呼されている風潮に、強い疑問を覚えます。

民主党も自民党も、既に政治の信頼が失墜しきっている事に、まるで気付いていないかのような発言が目立ちます。
これだけの失態をしておきながら適切な解決策も採れずにいる状態で、まだ国政を任せてもらえると本当に思っているのでしょうか。
古い政党政治は、全ての先進国で限界に来ています。
政治家は党利党略で動いてはいけない。そんな彼らを選ぶ有権者も、私利私欲で国政に票を投じてはいけない。
そう気付いても良い時期に来ているのではないでしょうか。

他方では、一時ブームを巻き起こした橋下大阪市長率いる「日本維新の会」が、石原慎太郎元都知事率いる「太陽の党(+たちあがれ日本)」と合流。
恐らく、関東での確実な議席確保を図ろうと、同じく右派の石原氏の知名度を頼ったと推測出来ます。
関西では未だ勝利の見込み有りの維新の会も、脱原発を後退させて削がれたかつての勢いは戻りません。ひとまず、単独での第三極は諦めたのでしょう。
維新八策を見ても、中央集権体制の打破や官僚依存体質の脱却など行政改革案は悪くないのですが、内政は統制的、外交・安保は強硬かつ性急過ぎるきらいがあります。
結局、消費税の地方税化と「税率11%」、地方交付税の廃止を打ち出した影で、脱原発や企業献金廃止は後退するなど石原氏寄りに路線は変更。
ただでさえ、基本政策で隔たりが大きい両党が合流する事自体に無理があるのですが、悪くすれば橋下氏は石原氏に党を乗っ取られかねないようにも思えてきます。

中道保守だと思っていた「みんなの党」は、迂闊に維新の会にすり寄った挙句、党員をゴボウ抜きにされて弱体化。
維新の会に合流し損ねた河村隆氏の「減税日本」や亀井静香氏の反TPP党は、主張は支持したいのですが如何せん人数が少なすぎて発言力が心配。(追記/11月22日に両党合流)
マスコミから締め出されている小沢一郎氏の「国民の生活が第一」は、脱原発・TPP反対・増税反対等は支持したいのですが、やはり小沢氏自身が古いタイプの政治家なので農家票目的のバラ撒き等はやはり戴けません(^^;。
共産党は…最近、各党の中で一番良い国会質問をしているみたいなので、うるさ型の「野党」として是非頑張って下さい。(爆)

いずれにしろ、もうまともな事を言っているのは、少数政党とマスコミから締め出された議員だけに思えてしまいます。
永田町の浅はかさを見るにつけ、最早「英雄待望論」やら「強いリーダーシップ」などという「人任せ」「丸投げ」政治では、国民の平穏な生活は守れなくなったように感じてなりません。
「自分で考える」という事は、「自分の価値観で物事を計る」という事。そして、自ら選択したその結果に責任を持つ(=誰の所為にもしない)という事でしょう。
「強いリーダー」「英雄」「救世主」などとマスコミで持ち上げられている「人気者」に全てを預けてしまうのは、あまりに危険ではないでしょうか。
それは、まかり間違えれば、最悪の「独裁者」を生んでしまいます。(実際、ナチスは国民に選挙で選ばれた合法政権でした)
被害を被った後になって「どうしてこうなった?」と文句を言っても、それは自ら判断する事を怠ったツケに他ならないと思います。
筆者自身、震災と原発事故をきっかけに、己の勉強不足と見識の浅さを人生で一番呪った程です。(その勢いで当ブログが出来てしまいましたw)

東日本大震災では、日本の悪伝統たる「上層部の無能力」と同時に、伝統の「現場力」「末端力」が示されました。
行政は勿論、民間も同じです。
東北や北関東の企業が被災した事で、大手が如何に下請けの技術に頼っていたのかがわかった筈です。
裏を返せば、大手は資金力、員数、販売ルート、人脈などを兼ね備えた強力な組織を持つ一方で、重要部品の開発や製造は下請けの中小に任せきりだった側面もあったのです。
「グローバル」「競争力」などといった錦の御旗を振りかざして人件費や設備投資をケチるのではなく、日本にしか出来ない新技術の研究・新製品の開発・新市場開拓の開拓に力を注ぐ事こそ、より発展的な資金の使い方ではないかと思えてなりません。
技術は人に付くものであって、組織につくものではありません。
人は石垣、人は城。
言わずと知れた戦国大名・武田信玄の言葉です。これは現代企業にも言える金言ではないでしようか。

研究・開発・製造・販売・企画・事務・会計・人事etc...
これら一人一人の力を結集し、より大きな仕事を成し遂げさせる「手助け」として間を調整したり環境を整えたりする為にこそ、「組織」即ち「会社」の存在が必要とされるのです。
組織は人ありき。構成する人材の優秀さが組織の優秀さです。
「勇将の下に弱卒なし」というのは、同じ力を持った兵でも率いる大将が勇敢ならば尚宜しいという意味だと個人的には解釈します。
勇将が指揮を取れなくなった途端に弱卒に逆戻りするような組織は、真の組織とは言えません。
危機的状況下でこそ機能しなければ、わざわざ組織を組んでいる意味がないと思うからです。

「リーダー不在」ではなく「リーダー不要」。
構成員は誇りと責任を持って「組織を動かして」いければ理想的だと思います。
構成員が指示待ちに徹して「組織に動かされる」ようでは職業意識が疑われても仕方がないのではないでしょうか。
そして、真のリーダーとはメンバーを力で従えるのではなく、メンバーが活躍出来る環境を整えて育て、やがては独り立ちさせる「親」のような存在であって欲しいと願ってやみません。
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