体調不良と多忙で、きちんとした記事を執筆出来なくて悲しい…(ノД`)シクシク
以下、どうしても書き留めて置きたかった雑感につき、根拠や出典は省略されました。m(_)m
ワシントンの保守系シンクタンク・ヘリテージ財団が石原慎太郎氏を使って日中関係に横槍を入れ、貿易・観光・文化交流その他諸々に大損失を被らせてから早八ヶ月。
尖閣諸島領有権問題を煽って日中関係を緊張させれば、日本はもとより、政権維持の為に強硬姿勢で格好を付けなければならない中国も双方引き下がれる訳がない。
そんな状況を作り出し、日本に「中国は危ない。やっぱり頼みはアメリカしかない」と思わせれば…
→中国が居るASEAN+3(或いは+6)より、アメリカ主導のTPP参加に反対する世論が減る
→尖閣諸島の有事の為に、扱い辛く稼働率が低くてもオスプレイ配備は止む無し
→米軍に味方してもらう為にアメリカの機嫌を損なえず、普天間基地移設と日米地位協定改定が更に遠のく
→中国の核兵器に対抗する為に核武装が必要だから、原子力技術向上の為に原発継続
…などという思考に陥りかねません。
こうなって得をするのは、日本でも中国でもなく、他ならぬアメリカだけです。
ユーロ危機を抱えるEU、財政の崖に直面するアメリカ等、かつて世界を牽引した欧米中心の経済圏は今まさに崩れようとしています。
一方、この世界同時不況の中で経済成長を続け、また将来の伸びしろがあるのが南米とアジアです。
このリーマンショックやユーロ危機で多少鈍化したとはいえ、このアジア経済の成長に水を差す行為こそ、日中対立に他ならないと思います。
中国は、所謂「牛の舌」という領土的野心を南シナ海に伸ばし、フィリピン、ヴェトナム、マレーシア、ブルネイ等のASEAN諸国と対立を抱えています。(経済成長から取り残されたラオスとカンボジアは中国から多額の援助を受けているので中国寄りの姿勢)
その所為でしょうか、フィリピン外相が「日本の再軍備を歓迎する」という異例の声明を出す事態に驚きました。(フィリピンは太平洋戦争の激戦地だったので反日・反米感情が強かった)
在比米軍基地に対する住民の根強い反発から、一度は米軍に出て行ってもらったフィリピンが、今度は中国人民解放軍(ヴェトナムやマレーシアとももめてますが)のスプラトリー諸島占拠に悩まされている。
アメリカは、このフィリピンのパターンを今度は日本に仕掛けているように思えてしまうのは気の所為でしょうか。
ちなみに、尖閣問題に一度は静観の姿勢を取りながらも、あとから仲介の意欲を見せ出したヒラリー・クリントン国務長官に温家宝首相(当時)は「これは日中二国間の問題」だからと、アメリカの介入を断りました。
その直後、温一族の不正蓄財疑惑がアメリカのメディアによって報道されたのは、果たして偶然でしょうか。
温家宝氏は、対立棚上げ・経済優先の鄧小平路線を受け継ぐ胡錦濤派です。
これに敵対するのが、総書記・国家主席・党中央軍事委員会主席を兼任して権力を一元化し、80后(80年代生まれ)以降の人民に愛国主義教育と称した反日教育を施した江沢民元首席の派閥です。
江沢民氏自身は、実父が日本軍特務機関の協力者で、親日系の汪兆銘政権下の南京中央大学で日本語を専攻。酒に酔うと日本語で炭坑節を歌う事もあるという、日本との関わりが多々ある人物ですが、文化大革命下で実権派として攻撃されながらも、養子先の叔父が共産党幹部で日中戦争中に匪賊に殺害されていた為、「革命烈士の子弟」と認められて難を逃れたといいます。
これらの経歴から、「漢奸の息子」「日本の手先」という批判をかわす為にも、強硬外交路線をとるようになったであろう事は、想像に難くありません。
一方で、欧米では中国の経済発展や外交の改善に貢献したと評価されており、特にアメリカとの関係改善を模索。当時の大統領ビル・クリントン氏やジョージ・W・ブッシュ氏と複数回にわたって積極的に会談を持ちました。
現在でも、江沢民派が役員の席に着く上海汽車とGM(ゼネラル・モーターズ)を含むアメリカ産業界との繋がりがあり、そのパイプはオバマ大統領にまで伸びているとされます。
いずれにしても、かつての冷戦構造から
中国 vs 日本 & アメリカ
( `ハ´)---*---(´∀` )☆\(´⊂_` )
と単純に考えるのは、時代遅れのようです。
中国を100%敵だと断定するのも、アメリカを100%味方だと油断するのも、外交上かなり危険な事ではないでしょうか。
本当の「独立国」による「独自外交」とは、アメリカの威を借りて中国の喧嘩を買う事でもなければ、日本の国益を損ねてまで中国を利する事でもない筈です。
まずは、TPPと上手い事同時進行させているASEAN+3(or +6)を足掛りに良好なアジア関係を構築しつつ、何らかの手段で日米地位協定を「不平等条約」から独立国同士の「同盟」に改定する必要があると思います。
軍事力とは、近代以降において「抑止力」である事が基本であり、出来るだけ行使しない努力をすべき「最後の外交手段」=「伝家の宝刀」です。
他国に比して強くとも弱くとも、無闇やたらと振り回して良い「力」ではなく、シビリアンコントロールの名が示すように「議会や法のもと」で「制御された暴力装置」でなければなりません。
上海事変を起こした旧海軍陸戦隊や満州事変を仕掛けた旧関東軍のような「独走」を許してしまえば、それはもう国(=国民)の軍隊では無く、ただの軍閥か有力者の私兵のような武装集団に過ぎないのです。
軍隊という組織は、(徴兵でも志願でも)国民から入営した兵員によって構成され、民間で働く国民の税金によって賄われている「公」の武力です。
決して、有力者の私利私欲の為だけにも、大衆の溜飲を下げる為だけにも、動かすべきではないと思います。