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責任の所在を明らかにしない国会事故調は「一億総懺悔」を招くまやかし

政府、国会、畑村氏による委員会、民間の四つの事故調査報告書がようやく出揃いました。
関係者の猛烈な抵抗と証拠隠蔽、高線量下の事故現場に調査に入れないなど、いくつもの壁があっただけあり、内容はやはり中途半端にならざるを得なかったのでしょう。
しかし、特に国会事故調査委員会の「人災」=「菅政権の所為」という論調は、一番の当事者である筈の経産省と東電の責任逃れありきの結論に思えてなりません。

事実、原発事故当時の東京電力の元社長を始めとする幹部の多くが本社を去ったものの、東電が大株主の会社や取引先の会社に天下りしています。
SPEEDIのデータを官邸より米軍に先に教えていた文科省官僚、緊急時に「専門機関」としての役目が全く果たせなかった原子力委員会、何の専門知識も持たず「会議」と称した短時間の会合のみを「仕事」にしていたという保安院、事故当時の記録ビデオをまともに公開しようとせず下請けに被曝隠しを強いる東電、大飯原発を手続もなしに再稼動させ活断層調査で自分で自社の配管に穴をあける関電など、刑事責任どころか道義的責任すらとろうとしない原子力村の厚顔無恥は、彼らが原子力を運営するに値しない組織だと公言しているようなものと言えるでしょう。(朝日新聞2012/7/31)

「誰がミスを犯したのかを特定していない」「責任逃れで陳腐な言い訳」(米ブルームバーグ通信2012/7/8)を並べただけの国会事故調報告書は、事故の責任を民主党と管政権にのみ押し付け、原子力を導入・推進して原子力村の隠蔽体質を作ってきた自民党と経産省の責任を誤魔化そうとしているように思えてなりません。

今、非難されて頭を下げている現職の大臣や関係者達には、事故対応への責任はあるでしょう。
しかし、そもそもこのような事態を招くには、一朝一夕では不可能です。
原発は1963年(昭和38年)に東海村の動力試験炉から始まり、49年かけて数を増やしてきました。
そもそも、日本における原子力発電は、1954年(昭和29年)3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされています。
その間、長期政権を独占していたのは間違いなく自民党です。

個人を糾弾する為に責任追及がある訳ではありません。
組織として業界として、健全な運営を続けていく為。それには発生したトラブルと正面から向き合い、同じ過失を二度と起こさないよう対策を徹底する事。それが、運営側にも利用者側にも長期的な利益をもたらす筈です。
「文化によって行動が決まるのならば、誰も責任を取らなくてよい。問題は人がした選択であり、その文化的背景ではない」というコロンビア大のジェラルド・カーティス教授の指摘(英紙フィナンシャル・タイムズ)は、保身や利害あるいは自責の念から口をつぐみ「一億総懺悔」に逃げ込みがちな日本の悪伝統を改める時だと背中を押しているような気がしないでもありません。
プラントや濃縮ウランの7割以上を輸入させられているアメリカの手前があるとはいえ、せめて国内の範囲内では真相究明・公開に努めるべきでしょう。
これは、日本政府、原子力行政、産業界、電力業界の信用問題です。

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