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クールビズは節電の為であって国民服令ではない

6月1日の肌寒い日から始まったクールビズ。(一部では環境省が想定する実施期間6月1日~9月30日を前倒しした所もあり)
オイルショック時代には「省エネルック」という呼称もありましたが、スーツとネクタイに身を固めながらエアコンをガンガンつけるよりは合理的だと思います。
ですが、衣服には身分や職業を表す前に身体保護と体温調整という最も重要な役割があります。
寒い日にクールビズを強要するのも、暑い日にスーツを強要するのも、「節電」或いは「社会通念」の名を借りた暴挙だと思います。
さらに、体感温度には個体差があります。
同じ28度下でも、汗っかきの人は半袖、冷え性の人は長袖という事も大いにありえますし、寧ろそれが自然な姿でしょう。
学校の制服における「衣替え」もそうですが、それらは一つの目安であり、定められた期日を頑なに守る必要はないと思います。
暑ければ半袖、寒ければ長袖を着れば、風邪を引いたり、熱中症になる確率も低く出来る筈です。

以前にも書いた事ですが、「何の為に誰の為にそれをするのか?」
制度の意味、行為の意味を常に問い続けない限り、それらはすぐに形骸化し、本来の役目を果たせない「腐った制度」になってしまいます。
クールビズは節電、殊にエアコンの過剰な低温による電力消費を抑制する為の「手段の一つ」に過ぎません。
決して、日本人が皆仲良くお手手を繋いでお揃いの格好をする事が目的ではありません。

エアコンに「頼り過ぎない」夏の過ごし方の一つ。
それが、クールビズの本質ではないかと個人的には考えています。
また、室内の温度管理に必要以上のエネルギーを消費し、時には個人の健康をも損ねる非合理的な「服装規定」が改めて見直される良い機会になればとも。
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つい余計な心配をしてしまう…

現在、トルコは2基の原子炉建設計画を進めており、うち1基はロシア、もう一つは東芝を中心とする日本グループと交渉している。
「トルコも地震大国だが、日本の技術を信頼している。あと3、4回の交渉をすれば話はまとまるのではないか。2019年の操業開始計画を変更する必要はない」(J-CASTニュース 2011/5/30)との事ですが…

正直、複雑です。(^^;
イスラム教徒が多数派の国ながら、政教分離と世俗主義を掲げ、中東でも発展を遂げてきたトルコ。
停電が多い中国やインド、高度成長期の日本然り、急速な経済発展と便利な生活に慢性的な電力不足は付き物でしょう。
しかし…
もし、1974年3月3日のトルコ航空DC-10パリ墜落事故のような事にでもなったらと思うと気が気ではありません。
元々この機体は全日空が発注していたものの、キャンセルになったので、トルコ航空が買い取ったという経緯があります。(Wikipedia/トルコ航空)
レベル7の事故を起こした日本から買った原発で、万が一にもトルコで過酷事故が起きてしまったら…
ベントによる放射性物質放出や汚染水流出の一件における国際的な非難を見れば、「技術立国・日本」の信用が地に堕ちるのは明白です。
さらに損害賠償問題とでもなれば、チェルノブイリ原発事故を起こしたソ連のようには踏み倒せないでしょう。
何より他国の、特に何かと「親日国」でいてくれるトルコの人をフクシマと同じ目に遭わせるのは、あまりにも申し訳ない。(福島県人の方々も同様です)
寧ろ、地震国同士として自然災害に負けない、自然環境を汚さない再生可能エネルギー技術の促進と普及の方で提携出来ないものでしょうか。

先日の総選挙でも、エルドアン現首相が率いる親イスラム与党・公正発展党(AKP)が40.90%の票を得ました。(朝日新聞2011/6/14)
ですが、「民主的な」新憲法の姿を巡って野党との議論は絶えず、憲法裁判所の判事任命に政権の意向を反映しやすくし、2003年のクーデター計画に関与したとして軍関係者のみならずジャーナリストまでもを逮捕するなど「強権さを増している(地元記者)」とされます。
議席数を盾にした強引さに「AKPの究極の目標は国のイスラム化にある(憲法学者)」との疑念まで囁かれる不穏な政情。
日本も「自民党一党独裁」とも揶揄される五十五年体制下の強引な政治が、多くの功罪を共に生み出して今に至っています。
かつて、近代化政策に明治維新をお手本としてくれたというトルコだけに、だからこそ日本と同じ過ちを繰り返して欲しくないと願って止みません。

そういえば、早々に脱・原発を表明したドイツ、国民投票で原発事業凍結が決定したイタリア(朝日新聞2011/6/14)、相変わらず原発推進の為に国内外の火消しに躍起にやっているアメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国。
これ、日本が脱・原発陣営に加われば、まんま連合国と枢軸国じゃないですか。
何という懐かしい顔ぶれ!(爆)
イタリアも火山国として日本と火山や地震の研究を共有した経験もありますし、環境先進国のドイツを巻き込んで色々と協力出来ないものでしょうか。
…まぁ、フクシマの後始末にGE(アメリカ)とアレヴァ(フランス)の力を借りてしまった時点で、日本に選択肢はなくなったのかもしれません。
だとしたら、あまりにも大きなツケを払わされたと言えるでしょう。orz

物申す株主の姿

五月に、東北電力の株主232人が「原発を廃止する。代替可能で多様な電源システムの構築に向けてまい進する」との文言を盛り込むよう求めるてから一ヶ月。(時事通信2011/5/3)
他の電力会社でも、心ある株主たちが立ち上がりました。

東京電力の株主402人は、
「放射性廃棄物についても具体的な処分は進められず、費用がどれだけ莫大になるか不明」
「未来の子どもたちに負の遺産を残し、地元に負担を押しつける原発からは即時撤退すべきである」
などの理由から
「古い原発から順に停止・廃炉とする」「原発の新設・増設は行わない」といった原発撤退の定款記載を提案。(毎日新聞2011/6/10)
関西電力の株主124人は、
「放射能の処理ができない原発はやめる」よう定款の変更を求め、撤退まで役員報酬を支給しないことやプルサーマル計画の凍結など計7議案を提案。
さらに別の株主36人も、建設から30年以上たつ高経年化炉の廃炉を念頭に自然エネルギーへの転換を求める議案を提出。(毎日新聞2011/6/12)
九州電力株主70人は、玄界原発(佐賀県)と川内原発(鹿児島県)の廃炉と新規立地・増設の中止などを求める議案4件を提出。(朝日新聞2011/6/11)

いずれも取締役会は反対を表明しており、猛烈な抵抗が予想されます。
しかし、是非とも最後まで負けずに頑張って戴きたいと願わずにはいられません。
何より、デモやネット声明など外側からの声に、当の国策電力会社の株主という内側からの声が加わった事は、非常に大きな意義があると言えるでしょう。

これらの出来事に先立ち、東電の株を持つ東京都の主婦の方が、とても興味深い投書をされていました。(朝日新聞2011/6/6)
2010年6月の東電株主総会で、273人の株主が「核廃棄物処分検討委員会の設置」「高速増殖炉からの撤退」「取締役会の報酬の公開」などを提案していた。
彼女はその提案に賛成票を投じたものの、結果は否決。
そして福島第一原発事故で東電の株は暴落し、株主たちは困っており、自身もその一人だといいます。
しかし、「株主としての責任ある行動をとりたい」と東電の株を売らずに持ち続ける事を決心し、「東電がどう社会的責任を果たしていくのか。株主として発言していきたい」と結ばれていました。

株を持つという事は、企業の事業や経営方針を応援するという事であり、その企業に対して発言の権利を与えられるという事です。
企業の資産を切り売りさせて「配当」の名のもとに毟り取るといった、経営理念も顧客をも蔑ろにする「悪しき株主上主義」も罷り通る中。
彼ら個人株主の姿勢、勇気は、「物申す株主」の鑑のように思えてなりません。

不信任案?それどころじゃない!

国民が知りたいのは、総理の辞任の目処ではなく原発事故収束と復興の目処。
国民が望むのは、原発事故の原因解明と被災者が自立する為の支援の方向付け。
それら無くして、真の日本復興はありえないと思います。

家や家族や仕事を失い、未だ電気も水道も復旧せず、孤立した避難所暮らしを強いられる被災者も少なからずいる中。
あろう事か、国会は被災者救済を探る場ではなく、被災者を山車にした権力争いの場に成り下がってしまいました。
震災と以前から続く不景気で、明日をも知れぬ生活に涙も出ない人たちも多い中、何と悠長な事でしょう。

さらに、不信任決議案提出騒動の影で、土日を含むほぼ毎夕開催されていた政府と東電の合同会見が、2日の以降の開催の予定が立たなくなるという余波も。(レスポンス2011/6/1)

与党の座の奪回に手段を選ばぬ自民党はもとより、何かにつけて党を割る小沢氏とその派閥は結局採決を欠席し、復興支援や原発対応の遅さをして「急流だからこそ馬を乗り換える」と息巻いていたはずがあっさり反対に転じた民主党内の造反組。
自民・民主の「橋渡し役」の仙石氏は枝野氏を「総理の器」などと持ち上げ(枝野氏は乗りませんでしたが)、渡辺氏などは「菅首相は『自分は副総理でいいから』と、谷垣自民総裁に首相の座を手土産に大連立を打診すべきだった」などとのたまう有様。
特に鳩山氏の無節操さには、目に余るものがありました。
小沢氏の誘いに乗って菅降ろしに同調したかと思えば、「こんな時に不謹慎ですよ」と小沢派の足並みを乱し、挙句、菅首相に誓約書を突きつけに行き「復興基本法案の成立と平成23年度第2次補正予算案の編成の目処が立ったらら辞任する」という発言を引き出した途端に態度を翻して不信任案反対を表明。
その上、不信任案否決から一夜明けて
「不信任案(採決の)直前には辞めると言い、否決されたら辞めないと言う。こんなペテン師まがいのことを首相がやってはいけない」
「不信任案が否決されたら突然言葉をひっくり返して『そんなことを言った覚えはない』という人間だとすれば、不信任案に賛成すべきだった」(産経新聞2011/6/3)
などと発言する始末。

ですが、一番呆れたのは翌日以降も延々と「ポスト菅」だの「大連立」だのと馬鹿騒ぎをやめない永田町とマスメディア。
日本政府マジオワタ\(^O^)/

…という事にならない為にも、私たち一人一人がしっかりしなくてはならないでしょう。
北海道で起きた列車事故でも、乗務員に頼らない乗客自身の判断が彼らの命を救いました。(毎日新聞2011/6/6)
今回の震災、特に津波からの避難の例でわかったように、不測の事態で身を守るのは誰でもない自分自身の判断力だという事。
それは、これからの日本の舵取りにも言える事ではないでしょうか?
日本を守るのは、政治家や官僚や大企業や資産家だけではない筈です。
日本は、彼ら特権階級だけのものではない筈です。
私たちの故郷を、暮らしを、家族を、そして自身の生存権を守るのは、他でもない私たち一人一人だと思います。

日本に限らず、共和党と民主党内造反組がオバマ大統領に攻勢を強めるアメリカでも、単独政権が望めなくなったイギリスや政治空白が一年も続くベルギーなどEUでも、政党政治は既に限界にきているように思えます。
誰が首相になろうと、やるべき事は同じです。誰が首相にであっても、やり得た事は同じだったでしょう。
特別なリーダーリップなど必要ありません。首相を始め、政官財民それぞれが「真っ当に」役目を全うすればいいのです。
お上頼みも、もうここまでにしませんか?
一から十まで国に決めてもらわなければならない国民など、諸外国の言い成りと揶揄される政府・政治家とどう違うのでしょう?

誤解されぬよう念の為に。
私は所謂、無党派層です。特定の政党を支持してはいません。法案の中身ごとに投票しています。

>>メッセージのお返事

「非現実的な夢想家」

作家・村上春樹氏による授賞式でのスピーチが、私も言いたかった事を随分代弁してくれていたので(笑)紹介します。

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文()()/毎日新聞サイト内

私も村上氏の言う「非現実的な夢想家」のままでいてもいいかなという気になってきました。
…残念ながら、氏の本を手に取った事はありませんが。(^^;


子供の頃に旅行した事がある広島。その平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた鎮魂の句。
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
私たちは、約束を破ってしまいました。誓いを忘れてしまいました。
欲、保身、無知、諦め、そして忘却によって、ヒロシマとナガサキの犠牲者の「叫び」を歳月の彼方に押しやってしまいました。
軍拡・核開発競争など「抑止力の拮抗による平和」が語られた冷戦時代、そして「核の平和利用」というアイゼンハワーの美辞麗句。
世界唯一の被爆国である役目を忘れ、核保有国の論理に膝を屈し、その果実を甘受してきた結果。
「フクシマ」という「第三の被曝」によって、日本は再び原子力と真正面から向き合わざるを得なくなりました。

原子力技術を全て否定するつもりはありません。例えば、癌の放射線治療なども立派な原子力技術の一環です。
患部周辺の正常細胞をなるべく傷つけないピンポイント照射が可能になった事によって、以前より副作用が軽減されたのも技術の進歩と言えるでしょう。
ですが、原子力技術――核エネルギーを生み出す根幹となるのは、天然に存在するウランを燃料とした核融合或いは核分裂。
本来なら安定している自然物をわざと不安定にさせて生み出される力…つまり「制御された暴走」下のエネルギーと言えます。
しかし、本当に「制御された暴走」などありえるのでしょうか?
人間は科学技術の発展により、自然災害からのダメージを軽減し、生存圏を広げてきました。
それでも、自然を完全にコントロールする事など未だに出来ていません。
天気予報は100%当たる訳もなく、竜巻や台風を消せる訳でも、津波や洪水を止められる訳でも、地震を完全に予知出来る訳でもありません。
いわば、地球に「間借り」しているちっぽけな人類、ことに「天災国」ともいえる日本人は自然への畏敬の念を持って生きてきた筈です。
しかし、果たして日本人は「原子力」という「自然を超えた」力に、真摯に向き合ってきたのでしょうか?
功も罪も併せた事実を直視する真摯さが失われたまま、日本は「原子力」とそれを扱う「組織」の暴走をとうとう許してしまいました。
一度暴走させたものを容易に鎮める事は出来ない。
原発という蒼褪めた馬でロデオを楽しんでいるうちに、とうとう手綱を締められなくなり、振り落とされたような格好に見えてなりません。

過ちと知っていても繰り返すのが人間の性(さが)。
ですが、過ちを知って学ぶ事が出来るのもまた人間の性質。
目先の利益に目が眩んで、自分やその子孫の「未来」を売り渡す事もしてきた人類。
この「負の連鎖」から抜け出す最後の機会が、まさに「今」ではないかと思えてなりません。

心に夢を、眼に現実を、言葉に真実(まこと)を、その手に愛を。
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