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震災後近況報告6

東京大空襲、地下鉄サリン事件、そして東日本大震災。
戦後史の三月にまた新たな悲劇が刻まれる事になろうとは、誰が予想したでしょう。
ですが、そんな月の終わりに、ちょっとゆるい(?)小話で小休止。

13日にしました「ずっと見たくてやっとチケットがとれたお芝居」。
当日の余震と交通網の混乱で当然払い戻してしまった訳ですが…
やっぱり、諦め切れーんっ!という事で、当日券目当てに行って来ました!
久々の東京は春休みというのもあって、平日でも大賑わい。
全く平和そのもので、管理人も買い物客を窓越しに眺めながらランチをして、待ち時間にはのんびりコーヒーを啜ってました。
それでも、駅や店内は薄暗く、電飾やジャンボトロンは消え、デパートや飲食店の其処彼処に置かれた震災への募金箱が、
否応なく「震災後」を意識させます。
で、本題のお芝居のチケットですが…やっぱ駄目でした!残念!ヽ(`Д´)ノウワアアァァァァンッ!!
当日券は五分で売り切れ。粘って一時間後のキャンセル待ちに並んだものの、真ん中辺りの番号では望み薄しで、
案の定、前の人であえなく終了。orz
仕方ないので、帰りのラッシュに巻き込まれる前に、家人の土産だけ買って、さっさと帰ってきましたとも。えぇ。(爆)
…ま、でも良いんです。人気公演なので最初から駄目で元々だったし、春の麗らかな日差しの下で震災以来初めての遠出が
出来ただけでも、それなりに楽しかったですし。
でも正直に言うと、やっぱり観たかったですけどね。(笑)

しかし、公演を続けると宣言した所の座長(若しくは演出家や監督)の言葉を読むと、これは役者や芝居に携わる者としての「プロ根性」だなと感じ入りました。
電力不足に協力的な姿勢をきちんと示しながらも、
「劇場の灯を消さない」「蝋燭一本でも芝居は出来る」「こんな時だからこそお客さんに元気になって欲しい」等々の決意表明。
言われてみれば、劇場やそこで上演されていた娯楽・芸術が閉ざされていた時代は、まんま日本の暗黒時代にも重なります。(^^;

「こんな時」だからこそ、実際に傷付いていない人間が傷付いたつもりになっても詮無い事。
本当に傷付いた人を救う為にも、無傷の人には無傷である故の「役目」がある筈です。
安全と電力と公序良俗(これは平時も常識w)を踏まえた上で、次はお花見にでも行こうかと考えている管理人なのでした。

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原発が与えたもの、奪ったもの

余震がだいぶ落ち着いてきた今。誰もがもっとも気になっているのが原発でしょう。
福島第一原発の事態は、予断を許さないというか、もはや一進一退の様相。
冷却の為の放水をやっと真水に変えられたと思いきや、作業員にまたも被爆者を出し、放射能で汚染された水の排水に苦慮する事態に…。

三十二年前にスリーマイル島原発事故が起きた近郊のミドルタウンからも、福島への同情の声と「友」への祈りの灯が灯されました。
今や、スリーマイル島のレベルを超えたと云われる福島第一原発事故。
人類史上最悪とも云われるチェルノブイリを回避出来るのか…。
私達に出来る事は、被曝の危険と戦いながら作業を続ける現場を信じる事。
そして、原発に支えられていた電力、経済、生活の全てを見つめ直し、未来のエネルギーを模索する事ではないでしょうか。

そんな中、福島原発に関する印象的な出来事を二つ見つけので紹介します。(以下、朝日新聞2011/3/29より)

三陸の味を獲る人々

「震災後」を写した一枚の写真。
雪がちらつく瓦礫の中で、ぎこちなく笑う一人の老いた漁師。手には、泥だらけになった船舶免許証。
被写体は、宮城県南三陸町の折立漁港でワカメ養殖業を営んでいた渡部清一さん。
その張り裂けそうな笑顔が、心に「何か」を残しました。

渡部さんは漁師から養殖業に転身。同町の折立漁港で十五年間ワカメの養殖を営んできて、今年は「当たり年」だった。
帆立や牡蠣の養殖も盛んな漁港だったが、船も建物も全て津波に持っていかれて壊滅。
渡部さんも所有する2隻の船だけでなく、家も失った。
地震が起きたのは、港の倉庫で妻の孝子さんと手伝いの女性の三人でワカメの出荷準備をしていた時。
荷物を取りに行こうとした渡部さんに孝子さんが
「何もいらないからとにかく逃げよう」と主張。
すぐに後続の車は渋滞で動かなくなった。全てを失ったが、
「あれが正解だったんだなあ」と振り返った。
今も隣の登米市の避難所で生活するが、何か残っていないかと港付近を探し回った。
すると、27日に港から約2キロ離れた川岸の土手の泥の中から、渡部さんの船舶免許などが入った袋を見つけた。
地震当日は船のブリッジに積んでいたもので、養殖の片手間でやっていた釣り船の許可証などもそのまま入っていた。
「この年齢でまた養殖を始めるのは無理だけど、小さな船を買って釣り船でもやろうか」
と小さな希望を語った。
(時事通信2011/3/29より)

先日、我が家のワカメが釜石産だったという話しを書いた矢先に見つけた記事です。
場所は違えど、こういう人達から届けられていた海の幸を口にしていたんだなと、また少し実感が沸いた思いでした。
そして、あの美味しさがしみじみと思い出されるのが、何だか不思議でもありました。

>>メッセージお返事

ネットが繋いだもの

ツイッターので呼びかけやブログでの情報提供、テレビのミラー放送配信、そして義援金・応援メッセージの受付等。
そして勿論、デマやら詐欺やら罵詈雑言も…。
今回は功罪併せてネットの存在感があった震災でもありました。そんなネット発の呼びかけから実現した出来事が、また一つ。

被災地の一つ気仙沼に救援物資を送ろうと、神奈川県三浦半島にある三崎漁港のマグロ業者・寺本さんが中心となってボランティアを呼びかけた
福岡に住む三十代の男性がツイッターとブログにその事を書き込むと、たった二日で50トンもの物資が集まったという。
しかし、被災地は道路の一部が寸断され、鉄道も止まっていた。
20トンは被災地に送れたものの、残る30トンは輸送手段が見つからずにいた
そこで三浦市の水産運輸会社がトラック三台で16時間かけて福岡まで出向き、30トンの救援物資を積み込んで三崎漁港まで戻ってきた
同社の立川社長は「断る理由は何もない。今すぐに動かないといけないと思った」と話す。
鹿児島や横須賀からの救援物資も併せて漁船に積み込まれ、気仙沼へと出港。無事、現地へと届けられた。

地震発生当時、遠洋で操業中だった気仙沼のマグロ船は、ラジオや無線で母港の魚市場が壊滅した事を知った。
結果、多くの漁船は三崎漁港や千葉県銚子港で陸揚げしなければならなかった。
そこで組合(日本かつお・まぐろ漁業協同組合)は考えた。
空荷で気仙沼に向かう漁船に、援助物資を運んでもらえないかと。
こうして届けられた物資を荷下ろしし、自衛隊に託すのは震災後に結成された「三浦三崎・海からの支援隊」のメンバー。
その顔ぶれはマグロ船主、タクシー会社経営者、寿司職人、薬局店長、自動車販売業者など多種多様な人々。
「積荷は全国の漁師たちからの贈り物だから。いち早く被災した人に届けてほしい」救援物資と共に気仙沼に戻ってきた八幡水産社長の村上さんは、そう言って自衛隊に頭を下げた。

他にも、全国の漁港で漁師たちが世界三大漁場である三陸の支援に立ち上がったそうです。
…これは、まさに現代版『海援隊』ではないでしょうか。海の男の熱き魂にしびれました!

気に入っていつも食べていたワカメが釜石市唐丹産だったと気付いた震災直後の12日。
翌日以来、いつも満杯だったスーパーのワカメの棚は空になっていました。
釜石の被害がニュースに出る度に、「あぁ、ここで獲れたワカメを食べてたんだなぁ…」と複雑な気分になります。
また三陸産の味が戻って来る日を信じて待っています。

東日本大震災のちょっと良い話 動物編

瓦礫と化したの街を彷徨うボロボロの犬。
そんな写真を見て、思い出しました。被災したのは人間だけではなかったという事を。
避難所にペットや家畜は連れて行けない。
ですが、一人暮らしの人や子供たちにとっては家族のようなかけがえのない存在でもあります。
某ペットフードメーカーが阪神淡路大震災の時に好評だったペットフードを被災地に提供するという決定は、飼い主さん達には朗報でしょう。
そんな動物たちの心温まるお話しです。

津波で自宅を失った岩手県大槌町桜木町の大平さんは、避難所の駐車場で車中泊を続けている。
避難所にペットを連れ込むことはできないため、愛犬のマルチーズ「モモ」と一緒に寝泊まりすることを選んだ
「つらい体験や避難生活でも、モモは私を支えてくれている」と話す。
一人暮らしの大平さんは外出先で地震に遭った。激しい揺れに驚いて帰宅。
留守番をしていたモモと、足が不自由な隣家の高齢女性を軽乗用車に乗せ、高台を目指して逃げた。
命からがらたどり着いた避難所で、日中に作業を手伝い、食料などの物資を受け取っている。
「モモちゃん、お仕事だからお留守番しててね」と、車を離れるときは必ず声を掛ける。
モモとの散歩は運動にも気分転換にもなる。
エコノミークラス症候群を予防するため、医師に相談して体調管理に気を配る。
「仙台市に住む長男が(モモを預かりに)来るまでは一緒にいたい」

津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市田老地区で、83歳のお婆さんを一匹のシーズーが救った。
津波襲来までの30分間、避難する為に家を飛び出した愛犬「バブ」と飼い主の赤沼さんは、いつもの散歩コースとは逆の高台へ向かった
赤沼さんの歩みが緩むと、バブは振り返って歩みを促すようなしぐさを見せ、追いつくと勢いよく前へ出た。
それを繰り返すうちに、自宅から約1キロ離れた避難所への急坂を一気に上りきっていた。
振り返ると、歩いてきた道は津波にのみこまれ、自宅も濁流の中に。
普段は散歩も嫌がるバブの行動に、赤沼さんは「津波を予知してたのかも」と不思議がった。

飼い主さんを気遣うように導く姿が目に浮かびます。
小さなシーズーが見せた健気な献身に、思わず心が熱くなった動物好きの管理人なのでした。
そういえば、スマトラ沖地震の時も、いつもは大人しい象たちが象使いの言う事を聞かずに高台へ走り、津波の難を逃れたという話しがありましたね。
動物の危険察知能力には、時々驚かされます。やはり「野生の勘」は、健在…なのかもしれません。

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