その勲章に相応しき者

去る2013年7月9日。
東京電力株式会社元執行役員にして福島第一原子力発電所所長として、日本史上最悪の原発事故収束作業を指揮した吉田 昌郎(よしだ まさお)氏が亡くなりました。
享年58歳。死因は食道癌だと発表されました。

まずはここに、ご冥福をお祈りします。

スカイツリーは「再エネ」のランドマーク

8月17日。今年の3月以来、恒例となった金曜デモは、未だしっかりと続いています。(朝日新聞2012/8/18)
開始当初は東京新聞くらいしかまともに報道しなかった国会・官邸前デモは、日を追うごとに拡大。6月29日には雨の中にも関わらず、15万人を数えるまでに盛り上がりを見せました。
さらに、このデモをスイスからも支持しようと、7月6日に首都ベルンでスイス人を含む約60人が紫陽花の花を手に抗議文と署名を在スイス日本大使館に渡す行動に出ていてくれたといいます。(鹿島田芙美, swissinfo.ch 2012/7/7)
国民ではなく、霞が関やアメリカばかりを向いている野田政権には馬耳東風でしょうが、国民の「(安全無視の必要性無き)再稼動反対」という抗議の意志が「デモ」という目に見える形で展開されるのは意義がある事だと思います。
しかも、その参加者が安保闘争の時のような組織的動員ではなく、ネットなどの呼びかけに応じて集まった一般市民である事もまた意義深い事といえるでしょう。
無論、「非組織的」であるという事は、利害に縛られない「民意に一番近い意思」を示せるのと同時に、エジプトのアラブの春を主導しながら政権に食い込めなかった学生達のように、組織力を要求される場面では弱さも露呈します。
それでも、たとえリーダーが倒れたり買収されようと、容易には終わらせられない「ゆるやかな粘り強さ」を内包している事に期待したいと思います。

ただ「脱原発」「再稼動反対」を叫んでも原子力ムラには届かない。
何より、反対ばかりしているだけでは何の解決にもならない。
そう思い、コージェネや地中熱(地熱ではない)、太陽熱(太陽「光」ではない)、新宿副都心地下で地上の電力を賄う東京ガスのシステムなど、「実際に稼働」していて「短期間で導入可能」なエネルギー確保の方法を調べてみました。
「新エネルギー」とも言われた再生可能エネルギーがこの二十年余で進歩した一方、補助金や減税どころか認可も碌に受けられず、如何に開発・販売・普及を妨害されてきたかを知りました。太陽熱給湯器も途中で補助金が打ち切られたといいます。
そういった意味でも、東京スカイツリータウンに地中熱発電を本格的に採用(ピーク電力を約4割削減可能)したスカイツリーは、その高さ以上に再生可能エネルギーのランドマークと言えるでしょう。
無論、建設中にも関わらず震災を耐えきった「想定外無き」耐震性も評価に値します。

全てを「電力」だけで賄う必要はありません。
オール電化はガス事故や火災が心配な高齢者などの家庭には向いているでしょうが、その他の全ての家庭までもがオール電化である必要はないのです。
コージェネや太陽熱給湯器など、「熱は熱のまま」使用するのが一番効率的である筈です。
しかし、ようやく枷が外れ始めた再生可能エネルギーも、全てが「メガ(大規模発電)」の話しに持っていかれがちになってしまっています。
一部解禁された「民間参入」も、枠を決められてしまうなど、相変わらず「締め出しありきの入札制」のまま。
これでは大企業の独壇場になる上、膨大な電力を遠隔の大消費地へ送電する従来のやり方は、放電ロスがあって無駄が多い。
何より、無駄なハコモノ事業がまた繰り返されるような構造は新たな利権を生む為、避けなければなりません。
例えば、風力に適さない土地に大規模風車を建造したところで、一部のゼネコンが儲かるだけで自治体には無用のモニュメントが負債として圧し掛かり、高圧線下の土地のように風車の低周波被害だけが残る…といった可能性もあるからです。
日照時間が多い土地は太陽光、海風が強く吹く土地は洋上風力、火山や間欠泉が多い土地は地熱、都市部は地中熱…といったように、それぞれの土地の特徴に適った発電方法を、自治体の需要に適う規模で採用すべきです。

大規模発電で広域の電源を賄う方法は、発電所が機能停止すれば広範囲に及ぶ大停電を引き起こすリスクがある事は東日本大震災で既に実証済みです。
中小規模発電で県単位・町村単位を賄うレベルにしておけば、たとえ発電所が機能停止に陥っても被害は狭い範囲に限られる上、周辺からの融通で復旧まで繋ぐ事も可能になります。
電力も食料も、ありとあらゆるエネルギーは、出来るだけ地産地消されるのが一番効率が良いと思います。
勿論、電力融通は、平時の需要に応じた調整と非常時のバックアップの為には必要です。
原発を続ける為にまだ大金をつぎ込むよりも、全国のそこかしこにある貧弱な送電網を早急に強化する方が急務であり、余程安上がりに思えて仕方ありません。
送電網が貧弱(需要量に対して充分な供給量が乗せられない状態)である事は、売電のみならず、緊急時の電力融通の妨げにもなり得ます。
アメリカの民間電力会社の多くは、顧客獲得の為の価格競争と、多額の配当を要求する株主に応え続けた結果、設備投資に回す予算を削り、発電設備も送電網も故障して停電が起きるまで使い倒す破目になりました。
国内でも、例えば北海道稚内市には海風を利用した風力発電(1998年操業)が五ヶ所あり、現在74基の風車で76,355kW(稚内市の電力需要の85%)の発電量なのですが、送電網が貧弱な為に大消費地の札幌市には殆ど送電出来ない状態です。(朝日新聞2012/6/16)
非常に勿体ない状態ではないでしょうか。※8/22追記

資金力に余裕がある大企業がこれからさらに自家発電を導入すれば、設備投資の余力がない中小零細企業が公共の電力を停電の懸念もなく使用出来ます。
道路交通、病院、警察、消防、役所など国民の生命・安全に関わる重要施設の自家発電あるいは予備電源導入も急務でしょう。
何より、霞が関のほとんどの省庁が大なり小なり電源を確保している中、最大の非常時に対応しなければならない防衛省が未だ公共電力頼み(2011年時点)のままとは、危機意識が欠如しているように思えてならないのですが…。

標準的な一般家庭の場合、そう躍起にならずとも、節電は無理なく出来ると思います。
実際、去年の(そして今年も)我が家がそうでした。
ほんの少し、付けっ放しの明かりを消すようにすればいい。
ほんの少し、夏はクーラーの温度を上げ、冬はエアコンの温度を下げて着込めばいい。
ほんの少し、運動のつもりでエスカレーターではなく階段を使えばいい。
ほんの少し、冷蔵庫に頼らないよう生ものの買い溜めを控えればいい。
一人一人が「原発を動かさなくても成り立つような生活」をし続ける事。
そうして、「原発を動かさなくても成り立つような社会」にしてしまう事。
これが私たちの安全を売って利益を独占してきた病的利権構造への、一番の抵抗になる筈だと信じています。

<スカイツリーの秘密>地中熱 冷暖房で利用でき、消費電力も少なく / YouTube内
地中熱、「欧米、補助金で普及」「パッケージで海外売り込み」 / 日本経済新聞
スカイツリーは省エネでも国内トップクラス ― 地域冷暖房や地中熱利用など / 環境gooニュース

責任の所在を明らかにしない国会事故調は「一億総懺悔」を招くまやかし

政府、国会、畑村氏による委員会、民間の四つの事故調査報告書がようやく出揃いました。
関係者の猛烈な抵抗と証拠隠蔽、高線量下の事故現場に調査に入れないなど、いくつもの壁があっただけあり、内容はやはり中途半端にならざるを得なかったのでしょう。
しかし、特に国会事故調査委員会の「人災」=「菅政権の所為」という論調は、一番の当事者である筈の経産省と東電の責任逃れありきの結論に思えてなりません。

事実、原発事故当時の東京電力の元社長を始めとする幹部の多くが本社を去ったものの、東電が大株主の会社や取引先の会社に天下りしています。
SPEEDIのデータを官邸より米軍に先に教えていた文科省官僚、緊急時に「専門機関」としての役目が全く果たせなかった原子力委員会、何の専門知識も持たず「会議」と称した短時間の会合のみを「仕事」にしていたという保安院、事故当時の記録ビデオをまともに公開しようとせず下請けに被曝隠しを強いる東電、大飯原発を手続もなしに再稼動させ活断層調査で自分で自社の配管に穴をあける関電など、刑事責任どころか道義的責任すらとろうとしない原子力村の厚顔無恥は、彼らが原子力を運営するに値しない組織だと公言しているようなものと言えるでしょう。(朝日新聞2012/7/31)

「誰がミスを犯したのかを特定していない」「責任逃れで陳腐な言い訳」(米ブルームバーグ通信2012/7/8)を並べただけの国会事故調報告書は、事故の責任を民主党と管政権にのみ押し付け、原子力を導入・推進して原子力村の隠蔽体質を作ってきた自民党と経産省の責任を誤魔化そうとしているように思えてなりません。

今、非難されて頭を下げている現職の大臣や関係者達には、事故対応への責任はあるでしょう。
しかし、そもそもこのような事態を招くには、一朝一夕では不可能です。
原発は1963年(昭和38年)に東海村の動力試験炉から始まり、49年かけて数を増やしてきました。
そもそも、日本における原子力発電は、1954年(昭和29年)3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされています。
その間、長期政権を独占していたのは間違いなく自民党です。

個人を糾弾する為に責任追及がある訳ではありません。
組織として業界として、健全な運営を続けていく為。それには発生したトラブルと正面から向き合い、同じ過失を二度と起こさないよう対策を徹底する事。それが、運営側にも利用者側にも長期的な利益をもたらす筈です。
「文化によって行動が決まるのならば、誰も責任を取らなくてよい。問題は人がした選択であり、その文化的背景ではない」というコロンビア大のジェラルド・カーティス教授の指摘(英紙フィナンシャル・タイムズ)は、保身や利害あるいは自責の念から口をつぐみ「一億総懺悔」に逃げ込みがちな日本の悪伝統を改める時だと背中を押しているような気がしないでもありません。
プラントや濃縮ウランの7割以上を輸入させられているアメリカの手前があるとはいえ、せめて国内の範囲内では真相究明・公開に努めるべきでしょう。
これは、日本政府、原子力行政、産業界、電力業界の信用問題です。

こんな国会事故調査委員会報告書など何の意味があるのか / BLOGOS内
政府の原発事故調査委員会報告、これで4報告が出揃ったが、肝心のことは触れずしまい! / やぶにらみトーク

再稼動をしたら、日本の経済は立ち行かなくなる

大企業の工場などの大口需要者は、「非常時には電源を切っても良い」という条件で電気料金の優遇を受けています。
であるなら、原発を止めた結果、真面目に節電しても電力供給が逼迫した場合、契約通り切らせて戴けば良いと思います。
そういう前提、そういうリスクと引き換えの大口値引きなのですから。

家庭向け電力が販売量の4割足らずなのに利益は7割を占め、企業向け電力は販売量の6割を占めるのに利益は僅かに3割です。(朝日新聞2012/5/29)
今回の値上げ要請は、本来企業が支払う分を家庭に支払わせるという、ただの経団連優遇策に見えてしまいます。(自宅に届いた東電からの「値上げのお願い」に「7月1日から」と書かれていた箇所が修正液で消されていたのには呆れました(^^;)
実際、企業向け電力は自由化されている為、電力会社と企業の「交渉」次第で料金を決められます。
仮定の話ですが、電力会社の株を買うから電気料金を安くしてもらう…といった「交渉」によって両者のもたれ合い構造が成り立ってしまう事もあり得るように思えてなりません。
また、経団連は法人税の実効税率を20%台に下げ、消費税率を19%まで引き上げるよう求めています。
これは正社員のパート化や派遣切りなどと同様、消費者の経済力しいては購買力を細らせ、自社製品の売り上げ不振のみならず、消費の落ち込みによる景気全体の低迷を招く自滅策だと、なぜ気付けないのでしょうか。

野田政権と経済界は異口同音に「原発を再稼動しなければ、日本の経済は立ち行かない」などと訴えます。
ですが、少なくとも自社のそれも上層部のみに入る目先の利益に飛びつき、日本経済全体、日本の将来を立て直す大事な時期に、協力する気のない経団連が言えた義理ではないと思います。

原発そのものの経済性も、決して良くない事が事故で判明しました。
故・高木仁三郎博士から「原発は本当に経済的なのか。それを総合的に研究してください」と頼まれた立命館大学の大島堅一教授の出した概算によると、原発を15年かけてやめると仮定すると、国全体で平均2兆6400億円の費用が浮くといいます。(2012/6/3朝日新聞-プロメテウスの罠・脱原発の攻防)
これは原発の運転費用、再処理費用、電源三法による巨額の交付金をなくせるからだそうです。
再生可能エネルギーが普及するまでは火力発電に頼るとして、その燃料費と再生可能エネルギー普及促進費用を年平均2兆円と計算。
つまり、単純計算しても、原発をやめれば差引き6千億円もの支出が減らせる可能性があるのです。
さらに、ただ原発を運転停止させるだけでは維持費がかかるので、火力発電の増設と燃料費の二重支出になってしまいます。
今のこの「再稼動待ち」状態が一番費用がかさむのであり、将来的に廃炉に向かっていけば、先程の試算にあるように結局は経済的なのです。
何より、原発そのものの保証期間はGE(ゼネラル・エレクトリック社)のマークIをして「せいぜい20年」。
どの道、老朽原発は順次廃炉にしていかなければ危険な上に不経済です。
それを「部品は定期的に交換されて」いるからと「(40年経っても)劣化しているとは断じがたい」などと、「60年(原則40年+例外的20年)廃炉」にさえ自民党(細田博之元官房長官)は性懲りもなく反対しています。(朝日新聞2012/6/13)
先頃のフランスの総選挙でも、原発推進派の保守系議員がフュッセンハイム原発を「部品が交換されているから老朽化しているとは言えない」などと嘯いていました。
核反応による高温・高圧に曝されて劣化し続ける肝心の原子炉が線量が高くて交換出来ないのですから、これらは全くの詭弁という他ありません。

安全より利権を優先した再稼動で喜ぶのは、日米仏の原子力ムラだけです。
昨年の国民投票で脱原発路線の継続を決めたイタリアの科学者及び環境保護団体で作るグループが、
「日本政府は海外に対し、福島第一原発事故を過小評価して見せている(フィレンツェ大学バラッカ物理学教授)」
と批判し、原発再稼動をやめるよう求めるメッセージを出しました。(朝日新聞2012/6/13)
他国にまで迷惑をかけた利権にメスを入れられない日本政府、日本製品の安全性への信頼低下の方が余程深刻です。
再稼動で得られる目先の利益より、失う将来の利益と信頼の方が遥かに大きい。
そんな算盤も弾けないのでは、経団連の商才もどれ程のものかと疑いざるを得ないと言えるでしょう。

再稼動という愚

大飯原発再稼動が、とうとう決定されてしまいました。

原子力規制庁は未発足(速くても可決は9月)、新たな安全基準も対策も、福島の事故原因究明も道半ば。
原子力事故被害への補償体制も整わず、現在被災した原発難民への救済策も汚染地域の除染も…何一つ出来ず終いの中での見切り発車。
野田政権は本当に財務省、経団連、そしてアメリカの言いなりのようです。
それまで自民党以上に原発を推進しながらも、事故を目にして考えを一部でも改めた管元首相や斑目委員長の方がまだ学習能力があると言えるでしょう。

原発事故対応は大失敗=管直人・前首相インタビュー= / 時事ドットコム

関電の八木社長は大飯再稼働を「夏季限定せず」「次の定期検査までの13ヶ月間、運転したい」と述べ、橋下徹大阪市長らが要望している夏季限定の運転に否定的な姿勢を示しました。(産経新聞2012/6/18)
「電力が不足するから原発を動かしたい」というのなら、不足する夏季に限定した運転で済む筈です。
いくら原発が単体では運用出来ない(大抵は揚水発電と抱き合わせ)、融通の利かない扱い辛い電源(火力のように強弱も調整出来ず、総発電量の六割を捨てている)とはいえ、電力不足が終わっても動かし続けらければならない理由は何なのでしょうか?
たとえ原発が停止しても、立地は「核燃料税」という形で停止中も交付金を受け取れる筈ですが…。

何より、大飯原発は事故発生時に必要な免震重要棟もベントフィルター塔も堤防もまだありません。
言うなれば、安全設備は事故を起こした「福島第一原発以下」という事になります。
それらが設置されるのは三年後。
であるならば、堤防建設中の浜岡原発同様、安全設備を整えた三年後にして初めて再稼動要請が出されて然るべきではないでしょうか。
それら安全対策をなし崩しにして、関電は再び原子の火を点けようとしているのです。

「もしも事故が起きたらどうするんですか?」と質問された関電の答えは「事故が起こらないようにします」。
まるで、目先の利益の為に安全を犠牲する体質のまま。
チェルノブイリに次ぐ過酷事故で国土が汚染された事など無かったかのような口振りです。
敦賀原発に続いて大飯原発直下にも活断層の存在が疑われている事への説明もなく(朝日新聞2012/6/9)、故・高木仁三郎博士が1995年に阪神大震災の教訓から原発が地震に襲われた場合の危険について訴えていた(2012/5/31朝日新聞「プロメテウスの罠-脱・原発の攻防」)事も全く考慮に入れて来なかった関電に「事故が起こらないようにします」と言われても、まるで説得力がありません。
おおい町の住民説明会でも、事故時の住民避難計画について地元には何ら説明がなかったというのですから、驚きを通り越して憤りさえ感じます。
つまり、関電と経団連の経営の為に原発を動かしておいて、いざ事故が起きたら住民は見捨てられると受け止められてもおかしくない姿勢です。

それだけでは飽き足らず、勢い付いた伊方原発や島根原発が次なる再稼動容認に手を上げ始めました。(毎日新聞2012/6/17)
さらに、日本原燃が高レベル放射性廃棄物処理の最終試験として青森県六ケ所村の再処理工場を動かすと発表。(産経新聞2012/6/18)
電力会社の株を多く持つ経済界は「原子力を基幹電源として維持し、電力会社の経営を助けたい」と言い、大手銀行までもが東電への新たな融資の条件を「電気料金の値上げと原発の再稼動」としたといいます。

つまり、この夏を去年の東日本のように原発無しで乗り切れたら、原発不要論が一層強まる。
それを恐れての「再稼動」強行ではないか、と京都大の植田和弘教授は指摘しています。(朝日新聞2012/6/2)

電力頼みの生活習慣・社会構造を否が応にも変えていく実践の機会を、再生可能エネルギーや自家発電の導入を促進させる好機を逸させれば、原子力ムラの思う壺でしょう。
第一、原発大国フランスの地方選挙でも焦点にされたように、原発は停止中も常にメンテが必要で、廃炉の為には何十年もの歳月と施設管理・解体工事によって、寧ろ雇用は増大します。
日本の原発の現場でも、事故以後に明るみに出た不正な就労への監視が強まった結果、人手不足になる発電所もあるくらいだそうです。

いずれにしても、植田教授の次の言葉が原子力行政の後ろ暗さを如実に語っていると思います。

「廃棄物の最終処分が出来ない技術は、生産の資格がない」

人の手で処分出来ないような資源は「資源」とは言えない(朝日新聞2012/6/18)と思います。
身の丈をわきまえず、扱いきれないとわかっているものに安易に手を出すのは、自滅の始まりに他なりません。

世界のウラン産出地に昔からある禁忌 / 2012.3.4放送回(YouTube内)